2011/02/19

今日は『雨水』

 ~雪が溶けたら何になる?~

 雪国に住む子供達は「春になる」と応えたそうです。

 理科の授業シーンです。この問答を学校教育の醍醐味と捉えています。人間性を追究するための提唱とも考えています。雪は溶ければ「水」になることぐらいは学ばなくてもわかる体験的知識です。そんな答えを出した子供達に、教師はどんな対応をするのでしょうか?そこに指導者の人間性が滲み出るような気がしてならないのです。雪が溶け始めて水に変わると、雪国では農作業の準備が始まるのだそうです。雨が降らないと「農業立国」のわが国では、ご自慢の水田が作れないわけです。稲作にとって水との縁には生活が掛かっているということですよね。ラジオを聴きながら、今日が24節気の一つである雨水にあたると知り、カレンダーでも確認できました。

 昨日のブログでは、「雨」を敵にして記しました。霧島連山・新燃岳の火山灰堆積が土石流発生に繋がったら二次災害になると心配したからです。「勝手な発想」の責任所在の決定に悩んでしまっています。雨が降らないと困る。雨が降ると困る。都合の良いサイドに着いては勝手な発想に辿り着いてしまいます。

 そんな事に思いめぐらせている内に、そろそろ出掛ける準備をする時間になります。

 今日は東京で開催される教育フォーラムに出向します。演壇に上る任務はありません。一人の聴講者という立場で参加します。年間を通じて数回はこういう立場で参加することがあります。「ねらい」は単純です。日常的に、「話す立場」からしか見ていない会場を、たまには、会場の聴衆の目線から感じて観たいだけなのです。つまらなかったら「会場を出る」決断の稽古も兼ねます。つまり、「聴きに来てもらっている」立場に傲り心を持たせたくないのです。まして、小生が務める講演には「動員されて」座する人たちが結構多くいらっしゃる場合もあるからです。「来て良かった!」という感想を貰えるには、演壇の力量に付加する「会場設営」もあることを学んでみたいのです。つまり、主催者の当事者意識であると言及しても過言ではないでしょう。一流の講師を招請すれば「人は集まる」という、集客根性だけでの設営には疑問を持っているという素直ではない人間性の証なのでしょうか。

 声を掛けたので、仕方なく会場に向かう仲間がいます。
 その聴講者が「来て良かったです」と御礼を述べて帰ることを期待しつつ準備に取り掛かりましょう。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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