~えっ、これって何?~
何せ、自慢じゃ御座いませんが事務処理能力に疎い小生は、公務員という「お抱えの」学校事務職員さんに負んぶに抱っこだった癖は除去できていない症状がこうした呟きとなって口を衝いて出るので御座います。
通知書の事由説明欄を読むと、「加給年金額対象者等の変動による改定」とあるでは御座いませんか。これって・・・!そうか、老妻が年金受給者になったという証明であったのです。基本額の横の欄にあった「加給年金額」のところに記入されていた些少な金額が削除されているのです。その額が老妻の年金として支給されるとの説明に「そうなんだ!」と・・・、納得するまでに少々回り道をしながら理解したら夕暮れ時になっておりました。
まさに、高齢者というカテゴリーに夫婦揃って突入したことになります。
生活状態に急変が生じるわけではないのですが、何となくメランコリックになってしまうのは何故で御座いましょうか。
久し振りの快晴の一日で御座いましたが、配達された郵便物1通でこんな気分になっていまうのは想定外でも御座いますが、能天気な性分ですから晩酌の一口で・・・・(恐らく、いいえ、きっと)・・・どっかへ飛んでいってしまうことでしょう(笑)。
小生より若い世代の多くの愛読者の皆さんにも必ずこんな「時」がやって来ますので、こうして心情を吐露しておくことにしたので御座います。ご参考まで・・・。お許し下され!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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