2011/02/18

凄い『雨音』に起こされる

 ~被災地の二次災害を案じながら・・~
 このブログを書き始めようとデスクに向かったのが4時半前。
 目覚まし時計は殆ど不要なほどに我が体内時計は確立している。目が覚めるのが3時半前後である。習慣とは恐ろしい?根拠は他愛もないこと(とは、失言だろうが・・)。仏教詩人と言われる坂村真民翁がそんな時間を起床時刻になさって晩年を過ごされたという文字に心を(勝手に)動かしただけである。そんな生活リズムを意識し始めてから早や20年以上が過ぎてしまった。
 目が覚めた布団の中で、雨戸と屋根を叩く雨脚の強さに心が痛んできた。
 霧島連山・新燃岳の火山灰が堆積して雨量によっては土石流になって生活地帯に流れ込むという二次災害を気象予報官が語っていたことを思いだし眠れなくなってしまったのである。真民翁の「自然界の夜明け」が2時頃だとの自説を読んだことも同時に思い出した。「雨は西から東へ」とは祖母が教えてくれた少年時代も浮かんできた。祖母の言葉の真意も分からずに成長したが、今では良くわかる。茅ヶ崎の今朝の雨・・・。霧島連山は昨日がこんな風な降雨だったとすれば、避難された方達はまんじりも出来ずに一夜を過ごされたのではないだろうか。案じてもどうにもならないとは思いつつも案じてしまう。
 新潟・中越地震の被災もそうだった。これから降雪の季節に向かう時期だった。着のみ着のままに被災された皆さんが寒さに向かう時期だったと記憶をまさぐる。自然界の恐ろしさを感じたモノだった。九州は雲仙・普賢岳の溶岩流で酷い目に遭っている。その経験値が、今回の土石流警報に繋がっているようである。長崎から支援部隊も到着しているらしい。いずれにしても、自然界の猛威には、素晴らしい科学の進歩も太刀打ちできないモノらしい。スイッチオンで何でも出来るような便利な世の中を創り上げている「立派な人間社会」も、自然界への畏敬の念を無視してしまったらとんでも無いことになるのかも知れない。
 霧島連山の雨量を案じつつ、久し振りの「早朝ブログ」を認めている。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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