~久し振りに、貪り読んで・・~
言語学・文化人類学という著者の肩書きは放送で知っていた。
日課としているラジオ番組で拾った人材情報である。浴室での朝の25分間は「耳の保養」にはもってこいの時間である。と言うより『聴く』楽しみで時間が潰せる時間と表現した方が妥当だろう。体調管理のために毎朝行っている『腰湯』(=一般的には「半身浴」と言う)の、「お伴」はラジオである。ラジオを聴きながら、その内容に没頭する時は一種の「至福の時間」にもなっている。
去る2月11日の早朝のラジオ番組では耳がダンボになった。
「人は文化を食べる生き物である」と語りかけられたからである。言語学者であり文化人類学者との出演者紹介に妙に納得して、直ぐに著書を調べて注文した。最近の便利さには度肝を抜かれることが多い。その時点で注文して、数日後には手元にその書物が届くからである。著書を2冊注文した。その内の1冊が届いたが、ここ数日書斎の片付けに追われていて本を開く時間が取れなかった。
今日は鍼診療定期日であった。
鍼診療の後は全身に気だるさもあり帰宅しても何となくダラダラとすることが多い。そこで今日は横になって休養することにして、やっと開いたのが届いたまま開いていなかった本。数時間の時の流れは鍼診療後の気だるさも吹き飛ばしてしまった。あっと言う間に夕暮れになっていた。
食文化の推移と人類の行動変遷を読み切って、唸ってしまった。
久し振りに痺れた老脳には、良い刺激が走った。これから夕食のテーブルに着くが「食する」前に、誇らしげに、妻に能書きを垂れることにしようかな(笑)。
言葉を食べる食文化という現代生活を、知ったかぶりで話してみたくなったからである。やっぱり「良い本」は出会いの感動を演出してくれるモノだ。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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