~仕事に一段落が着いて~
来週の月曜日からは3週連続で「月曜日だけの勤務」になります。そして、今年度最後の3月は下旬に県外での仕事で3日間自宅を離れるだけの数えるほどの仕事日になりました。昨日は市内の中学校での講演を終えました。終了後、親交を温め美酒をいただいて帰りました。帰り道で何となく気分がホッとする雰囲気を感じ取りました。
案の定、今朝は大寝坊でした。
「えっ、6時?」と、声を掛けた妻に声だけは反応したモノの飛び起きる現象は起きませんでした。更に30分ばかり目は開いたままの状態で布団の中でした。別にどこかが不調らしい兆候などありません。しかし、全身がいつもの朝のように軽やかには動こうとしてくれませんでした。
『腰湯』を終えたのは、何と午前8時を回っていました。
こんな日が年間に数回はあるような、あったような気もします。大仕事をこなしていた現役時代にはこんな朝の体感はあまりありませんでした。これも加齢による老化現象の証なんでしょうかね。朝食を抜いて早いお昼を食べたのが11時。さっき起きたばかり??なのに横になりたい衝動に駆られて一眠りしたら、「喉が痛いなぁ~」と呟いてしまいました。老妻の地獄耳(笑)に届いてしまいました。「大丈夫ですか」?の労りらしい声を掛けてくれた後、「疲れが出たんじゃないですか。歳ですからね」と畳み込まれ、返答に窮してしまい、苦笑いをしながら自前の常備・うがい薬(黒酢に生姜を漬け込んだ液)でうがいをして「黒糖飴」を口に放り込みました。
身も心も健在の証拠です。
妻の仰せの通り(笑)の症状のようでありますが、寝込むほどでもありません。新年度へ向けて、「新しい風」を巻き起こして活動できるように、これからは少しの期間ゆっくり過ごさせて貰いましょう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿