
今夜には上野動物園に「パンダ」が運ばれてくるらしい。
NHKニュースに登場した話題が老夫婦の「朝食のおかず」になってしまった。(写真は今回の話題の主ではないのでお断りしておきましょう。)我が家の3人の子供達を引き連れて、上野動物園の正門を潜った日が浮かんできた。「先の見えない」行列の中に閉じ込められて延々と数時間を何とか凌いだ。やっとご対面の場所にたどり着いたらお疲れになったパンダ様は眠り込んでびくともしない。係員の方が「し~っ」と、小さな声を発しながら「静かに前へお進み下さい」と書いたプラカードを我々観客の方に向けて歩いてくる。公衆道徳を護らせようと妻も母親らしく口に指を当ててわが子を誘導していた。
パンダとの思い出はこの程度。
思い出のシーンには、二重、三重に並ぶ人の波だけ。圧倒されるほどの沢山の見物客の一角に子育て中の親(我が姿)としての姿は明確に残っている。むずがることもなく「お利口さん」を演じてくれた(笑)わが子達を褒めながら、どっかの安い食堂で何かを食べさせて帰って来た。帰りの電車の中は草臥れて眠りを貪る一家5人の姿が誰かの目に映っていたことだろう。
やっぱり『人寄せパンダ』なのか。
語源に親しみを感じながら苦笑する。それは、今度は、父親や母親になったわが子達が人寄せパンダの被害を受けることになるのかも知れない、と感じたからである。まさに我が家の家系でも「世代交代」の様子を呈している。時代遅れがないことを喜ぶべきかどうか??あの日から30年以上の歳月は流れてしまった。我が子育ての評価はこれからの彼らの親業に掛かっている。
景気が悪い。不況だ。大学は卒業しても職がない。
こんな暗い世相を吹き飛ばすための「景気対策」としてパンダ借用政策が講じられたのだろうか。上野動物園の周辺に人が集まれば、その一帯には経済効果が得られるのか。ふと、『人寄せパンダ』策戦(一時的な効果を狙っている対策)が、あらゆる分野で定着化してしまい「日本流」として世界に通用するようになるとすれば、哀し過ぎる話に思えてならないのは小生だけではないだろう。
取り分け「教育する」分野では、モグラたたきゲーム式手法が珍重されてしまうことだけは避けたいと願っている。地道な実践が展開される学校教育現場で、日夜奮闘する後輩諸兄が「やる気」が出るような戦略を文科省に期待したいモノである。
決してパンダ策戦を揶揄するものではない、ということを最後に添えておきましょう。
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