2011/02/20

『手応えのある教育実践』に勝る教育手段はない


 ~久し振りの「聴講者」として~

 この3月で学校教育現場を去って7年間が過ぎる。
 その間の「活動」らしき動きは、講師稼業である。こう表現するとちょっとキザ?いや、少々美称化してしまうようでくすぐったい。しかし、本業らしい顔をして招請に応じているから許していただきたい。「話し上手は聴き上手」と言うのかな?「聞き上手は話し上手」と言うのかな?どちらにしても、辻褄合わせは、この際問題ではない。ともあれ、昨日の半日を「聴く」サイドに身を置いたことは事実である。休憩を挟んで4時間、ずっと「聴く」態勢を堅持するのは並大抵の忍耐ではない(笑)。しみじみと反省した午後でもあった。

 しかし、手応えのある事例発表にはやはり引き込まれる。
 「地に足が着いている」実践の報告には、発表者の言葉にも血液が通っているようだ。加齢による涙腺の緩みは許されることとしても、教育者としての「子供達への愛情」を実践者自らの言葉で語りかけられると場所も考えずに目頭が熱くなる。コーディネーターの「熱き心」というメッセージの締めくくりに、凡庸な聴講者の心を射抜かれた感じもしてドキッとしてしまった。

 いただいた「熱き心」は、春には冷たすぎる東京駅前の風にも負けない歩調を促してくれた。
 基調講演の「演題」には、帰路の車中(東京~茅ヶ崎 60分間)を退屈させないモノがあった。とかく教育学者の造語に振り回されがちになる学校教育現場である。いや、これは小生だけの症状だったかも知れないが、彼らの「言葉遊び」には時として閉口する。今回の講師は、若き日々から親交があり大きな期待をしている大学教授でもあり、タイトルにも興味があり今回の聴講を決断したのである。仮説に近い段階での講師見解として十分に受け止めることは出来た。今後の実践に裏付けられた内容を期待したくなった。この講師なら大いに期待できるので、次回のご案内を楽しみにしたくなった。

 学校教育現場は凄まじいほどの「暴風雨・暴風雪・砂塵・爆発的噴火・・・e.t.c. 」の渦中にある。
 僅か7年前と比べても表現の仕様がないほど変貌している。しかし、今回の実践発表を垣間見ても『手応えのある教育実践』は確かに存在する。アドバルーンを揚げるだけの研究発表会にはもう飽きた。実践者そのものの教師群団にはそれがわかっている筈である。そんな教師集団にエールを送る事の出来る、このような素晴らしい実践発表を取り込んだフォーラムが欲しかった。

 満足度75㌫。
 残りの25㌫は不満足度ではない。第9回への期待度である。そして、登壇される講師陣への「多くの素晴らしい実践例を取り込んで」、全国から集う現場の教育実践者たちにエールを送ってあげて欲しい。そんな身勝手な要求度とも受け止めて欲しい。

 期待を掛けたくなるフォーラムであるからこそ、辛口に聞こえてしまうような表現になってしまう。ご理解いただきたい。関係者の創意工夫に拍手を送りたい。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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