~時々、著者のご好意で「献本」が届く~
有難く開きながら夢中になって読んでいる自分に気が付くことがある。また、注文したことを忘れて献本との思い込みで「この本、読みたかったんだよなぁ。」と没頭して読みふける能天気ぶりに時として自らに驚いてしまうこともある。後で「代引き」領収書が机の上に置いてある。「注文していたんだ」と気付くのだから妻も呆れて物が言えないらしい。
一昨日、「献本」という朱印が押されている1冊の本が届いた。
誰の著書だろう?例によってとぼけた老眼で覗いてみる。「編集」小島宏という尊敬する先輩のお名前を発見して、「相変わらず頑張っておられるんだなぁ~」と感心しながらページをめくる。その時点でも記憶は正常に回転していない。パラパラとめくり終えて閉じた。A4版1枚の半折りの紙がひらひらと落ちた。何だろう?拾い上げて活字を拾い読みをする。「執筆の御礼と・・・」の表現された編集部担当者の私信だと判明して、遠い記憶(笑)が蘇る。
半年前に原稿執筆依頼に応えて書いた原稿が本となって届いた。
すっかり忘れていた。改めて執筆部分を読み直してみる。依頼状況と発行予定時期の予告が鮮明に浮かび上がって来た。読み終えて背中に汗をかいたような不快感が襲ってきた。つまり、記憶の忘却が、そろそろホンモノに近づいていることに愕然としてしまったのである。
お茶を飲みながら妻にその話をした。
殆ど感情の移入もない声音で応えた妻の言葉に再度愕然。「以前にも何度かあったわよね」の言葉が数時間は脳裏に住み着いてしまった(笑)。ところが一夜開けるとそんな光景も「ほのぼのとした記憶」に生まれ変わって登場する。やっぱり能天気な性分なんでしょうね。
ふと思い付いた。その後にも数本の執筆を済ませて出版社に送っている。ところで、発行日はいつだったっけ?珍しく取り越し苦労をしている自分にも苦笑してしまう朝である。
2月も2日目。厳冬に圧倒されている間に、あっと言う間に12分の1の「月」が過ぎている。インフルエンザの流行と花粉症の季節が到来しているそうだ。どちら様もお気をつけてお過ごし下さい。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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