2011/02/07

教育現場の醍醐味は?



 ~やっぱり「授業」!!~
 
 子どもの目力に勝るモノは無い。その力を養成できるのが学校教育である。学校教育現場の醍醐味は、だから「授業」なのである。授業を追究せずして学校教育を語ってはいけない。これが小生の持論である。
 
 ここは季節になると蛍が乱舞するという「石内尋常高等小学校」(旧)。
 そこを「ふるさと」として育つ子供達の生活拠点。6年越しの定期的に訪問する小学校である。初めての一歩を踏み込んだ時点での授業風景には、教師にも児童にも活気と意欲が感じられなかった。授業を「振り返る」経験値が少なかったのかも知れない。その後、校長のリーダーシップにより多くの助言者が招請され、授業法についての研鑽を積み重ねられたようである。その「蛍雪の功」で、ここまで成長してしまう(笑)教師群団。そんな光景を目の当たりに見せつけられ、長年の「石内小通い」も感動の時間となってしまった。授業を観察する、この「鬼の目」の涙腺が少々緩んでしまった。

 成長する教師の下でしか「子どもの目力」は育めない。
 辛口指導(と周囲は、小生を評価するが)も、子どもの視線には太刀打ちが出来ない。その視線を肥やすのは授業者である。授業者の熱意が子どもの学習意欲を鼓舞する。その授業者を叱咤激励するのが学校管理職である。通い始めた時点からずっと本校の校長はこの小学校に勤務である。校長としての勤務年数も長い。しかし、その間に学校を取り巻く周囲の環境も急変している。様々な苦労があっただろうが、授業研究に対する学校長の熱意は尋常ではなかった。不測の事態には自らが教室に赴いて子どもを相手に授業をする校長の姿は、教員の心を擽らない訳がない。

 この写真提供者は、その学校長である。

 日頃から授業者をじっくり観察している校長の「学校経営者」的視線が、届けられた写真何十枚の随所に感じられる。カメラは嘘をつかないが、カメラを向ける教育的視線の意識にしかホンモノの光景は映らない。撮影技術ではない。子供達に対する愛情である。
 教員が育つ。そして師として仰がれる教師に成長して、子どもと一緒に更に成長していく。その栄養素はやっぱり授業でしかあり得ない。そんな教員養成の総合的な学習の時間が「授業研究」に行き着くのではないだろうか。
 写真右は、反省会の席上で2名の「代表授業者」との記念撮影である。授業者の満足感を、全員の教員が集って共有できる光景は、教室で真剣に取り組んでいるエネルギーの「夜のオトナバージョン」である。伸び伸びと学校長に対しても冗談を言い合える「オトナの時間」も、昼間の授業観察の感動と殆ど変わらない。
 この雰囲気の延長線上には、来年の代表者もそろそろ決定するのではないだろうか。また、来年も「蛍の故郷」を訪問したくなっている。そんな辛口助言者がここにいる。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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