~立派な関取にはこんな支えがあった!~
相撲って国技?そりゃぁそうだよ。だって「国技館」と言うからさ・・・。
他愛のない庶民的な対話の正偽はここでは問題にしません。国技という国民感情が優勢勢力であった証拠に日本大相撲協会の不祥事が次々と国民の前に吐露され、ファンが意気消沈してしまった訳です。モンゴルを中心として外国籍出身の力士が多くなっている現状を、国民感情はどのように受け止めたのでしょうか?日本人がだらしない?それだけでは片付かないのが日本人独特の感情でしょう。外国人力士の異様な言動に排他的な感情を露わにしたのも現実でした。一方、横綱・白鵬関の真摯な姿勢には「日本人顔負け」の日本人らしい生き方を彷彿とさせられ、反論すら出来ないのも日本人らしいファン気質のような気がしませんか?
そんな状況下で、館内での異様な歓声を集めるのが大関・魁皇という関取です。
どうして?2年前に他界した義父も、最期に近い日々でも大相撲のテレビ観戦には力が入っていました。偶然ですが「九州出身」というご当所意識からかも知れませんが、魁皇関には特別に大きな声援をしていました。新聞記事(上掲)を読んで何となく納得する愚息です。早速、仏壇にも報告しました。
18年間も応援し続ける。こういう姿勢も「日本人のファン文化」なのでしょうね。
スポーツ選手が脚光を浴びて活躍すること自体が夢を売ることに繋がり頼もしい限りですが、その頑張りを支える『こころぽかぽか』するようなニュースを知るとホントに嬉しくなります。注目を浴びているサッカーの選手諸君にもこうした支援者が大勢存在することを忘れずに、日本人としての誇りを忘れずに、鍛え上げた実力で、世界で羽ばたいて欲しいモノですね。
寒い朝ですので、ここに『心ぽかぽか』ニュースをお届けしました。風邪など引かぬようお気をつけてお過ごし下さい。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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