
夢中に歩んだ教員生活も思い出すことは殆どありません。それは、「失敗を思い出したくないから」、ではありません。実は、殆ど記憶の外に出てしまっているのです。そこに「霞む」という症状が出始めたのですから重症なんでしょうかね(笑)。
衝撃はその症状に刺激を与えるものを言うようです。
穏やかなゆったりした老後の生活に慣れ親しむと、霞みの濃度が濃くなります。孫のリズムを中心にした生活を始めて半年も過ぎるとその症状が固定化するのかもしれません。それはそれなりに激務だった現職時代からの「夢」でもあったのですから決して不満があるわけではありません。寧ろ喜ぶべき症状なのかもしれません。
しかし、先だってのある小学校からの相談を受けて、現状踏査と当事者からの現状報告と対応状況を数時間に渡って聞き取り調査に伺いました。耳に現状報告を入れながら脳裏を流れる血液の脈打つ音が聞こえる程までに大脳が活性化してしまった(笑)ようでした。帰路の電車の中に坐した一人の旅人は、「教員時代」の思考回路に戻っていました。哀しいかな??当事者には戻れないのです。自分なりの経験値を入れた対応策を指導した帰り道は「どうしようもない焦燥感」に襲われてしまいました。
教育の根本。それは「先生の存在」です。
不登校や学級崩壊の問題症状発覚に至るまでの該当教員の「自らの存在感」を蔑ろにしてしまった罪の意識が異常なまでに低いことが先ず要因です。間接的な原因があるとすれば現職教育に本腰を入れていない学校経営の甘さだと考えたからでもありました。『先生の存在感』をどこかに置き忘れ、今の自分と学級の現状だけを天秤にかけて、過去と同じ療法で学級づくりをしていることに気づかす、子供の抵抗ぶりに指導力でも落ちたかのような錯覚で落ち込んでしまう50歳代の教師集団の多いことは全国的な傾向なのです。
なぜ??存在感の自意識を育てることに鈍感な学校教育従事者の責任があまりにも薄いからです。時代がどんどん・・・いやめまぐるしく急変する時代です。時代が変われば子供の実態も変わります。着想も驚くほどに急変しています。だからこそ、「先生の存在」が大きいのです。
日本文化を支え続けてきた学校教育界に存在した「恩師」という言語が地に落ちてしまうようでは「先生の存在感」など存在しません。自信を持って子供たちの未来を夢見るような先生たちが多く育ってほしい。そんな思いがこの新聞記事で膨らみました。
全国の「先生たち」に告ぐ!!
この新聞記事をコピーして読み直してください。最終段落の冒頭の二行を抜き書きして職員室の机上に貼ってください。皆さんを頼りにして生きている子供やその親が皆さんの奮闘を期待しているのです。失敗?小生なんか多すぎて塚が出来ました(=『失敗塚』)。時々、先祖への供養のついでに(笑)、自製の「念仏」を唱えています。それは、「まっ、良いか。ゴメン!」です。どうぞ、真似してみてくださいませ。