~世代交代は確実・・・・~
講演の途中で脱線する(笑)のが得意芸であるが、聴講者の話題を振って驚くことがある。
それは、例えば「東京オリンピック」の話題に触れながら聴講者の反応を測ると聴講者との時代のズレを実感する。「生まれていません」なんて反応が返ってくると愕然としてしまう。東京でオリンピックがあった時代に誕生している人は47歳であることを知るにつけ「世代交代」は確実であるとその事実を飲み込むだけである。
昨日の聴講者集団も例外ではなかった。
次世代に継げる内容に編曲して吟じることが必要であることを実感しながら講演の任を果たした。しかし、真剣なまなざしで聞き入ってもらう会場に身を置くことは講師冥利である。どんな会場でも、どんな話題を提供しようと聴衆の心を揺らすのは「自らの体験談」である、とりわけ、失敗談を取り込むとその瞬間の言いようのない安堵感で会場が和むことも事実である。講師と言う立場の人材には「成功者」のレッテルが事前に貼られているようである。そんな誤解を解くには失敗談が必需品である。そんな気付きを実感できたのも至福であった。
夕刻の懇親会はまた楽しかった。
数年にわたって通い続けている講座である。担当の指導主事さんも複数になった。そのメンバーとの懇親会は「過去の思い出話」に花が咲いて大盛り上がりであった。感謝の意を告げて帰路についた。常磐線の車中は「居眠り」状態であっという間の時間だった。さわやかな疲労感が短くしてくれたようだった。
さいたま市に出向く数時間前に、取手市に住む妻の叔父が他界した旨の通報があり、さびしい思いでの出講でもあった。叔父はクリスチャンなので「お別れ式」は土日を避けて来週の月・火曜日である。親族代表の挨拶が依頼されている。長兄と同年の叔父であり、何よりも高校の先輩でもあるので敬意を表する言葉も挨拶の中に入れて考えることにしよう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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