~どうして新幹線??~
出講先で主催者サイドからの質問の常識。
飛行機が嫌い?と問われれば「ノー」とも断言できないが、出講をお請けする目的の一つに「旅をする」という醍醐味を捨てきれないのが空路を使わない理由の最大の要素であることは事実である。岡山駅で乗り換えて瀬戸大橋を渡りながら瀬戸内海の島々を視野に、うっとりできるのは正に旅の中の至福の時間なのである。土讃線が走る山中で、眼下に見える「大歩危小歩危」の絶景は何度見ても「命の洗濯」になるので中々捨て切れないのである。
例を挙げれば限がない。
たまたま、本日の出講先が四国・高知であるので土讃線の話題を提示した。全国の出講先からの講演要請が「ほとんど断った」ことがないほど、「旅への憧れ」への執着は強い。鳥取砂丘も出雲大社も、能登半島も天橋立も、そして平泉の中尊寺に瑞巌寺・・・・、と走馬灯に張り付けた旅の風景はそんなに簡単に消え去ることは無い。
しかし、長時間の旅の醍醐味に浸って現地に到着と同時に「お仕事」バージョンに切り替えることが、最近になって少々億劫になってしまった。つまり、長旅の疲れを引き摺る状態では講演へのエネルギーが半減するような気がして恐縮してしまうのである。まして、今日・明日の訪問校では、児童といっしょに「授業をする」ことが要請のメインイベントとなっているのである。四国山地の山の緑や絶景に浸りながらの長時間「座り旅」は全身の疲労が授業への情熱と体力をむしり取ってしまうと考えたのである。
今日は、高知竜馬空港にほど近い小学校で午後一番の授業が予定されている。
溌剌として(老体には期待はできないが)教壇に立って授業をするために空路を選んだ。そして、元気な子供たちと正面から「勝負する」意気込みが失せることのない状態で臨みたい。授業の上手下手の問題ではない。授業者の意欲と情熱が最も重要であることを後輩の教員集団に全身で訴えて来ようと心して準備も完了した。
往きの空路の1時間半。
もう一度、私製・指導案を読み直して展開をなり直すことにしましょう。また、当ブログで様子を報告する予定であるのでご期待願いたい。
帰路の空路は「疲労困憊の老体」を速やかに東京・羽田空港まで運んでくれることだろう(笑)。す!!
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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