~中身は「柿」でした~
とうとう67歳になってしまいました。
長兄も次兄も50歳代で他界していますので、その年代になった頃は独りで悩んだものでした(笑)。小生をご存じであればあるほど信じられない症状だろうと想像できます。還暦を迎え現職を退いた頃には旧友が連続して他界しました。その頃は第二波の苦悩でした。そうこうしている内に、悩む暇もない程の多忙さに襲われました。それは認知症を発症した義母の介護から始まったのです。待機時間が数年後と言う特別養護老人ホームの現状も思考回路がパニックに陥いる原因でした。自分のことなど考える余地すらなかったような日々でした。退職を待ってくれていたかのような発症にその介護は昼も夜も続き、わが親なるがゆえに気苦労する妻の健康まで気になる日々でもありました。
義母が他界したことは健常な義父に知らせることも躊躇いましたが、3か月後に妻の後を追って他界した義父は知っていたそうです。孫である長男が明かしてくれました。8月に義母、11月に義父の葬儀を済ませてあの喧騒は一段落しました。義父母は同年齢で共に92歳での他界でしたので大往生とも言える最期でした。妻の惜別の思いは想像するより小さいモノであったようです。
義父の死後、長男がここ土浦に墓地を求め義父母も安らかに眠っているでしょう。三回忌も終えホッとした頃から長寿系の妻の親族の高齢者の訃報が届き始めています。10月の前半はその渦中にありました。
昨日は東京で出版社の要務があり懇親会を終えての遅い時間の帰宅になる予定でした。孫たちが楽しみにしている(お祖父ちゃんの誕生日に食べるケーキ)夕食会は延期されたようです。創立記念日でお休みの小学生の孫たちが、保育園に行く弟を連れて離れの爺婆宅にこの袋を下げてやってきたのです。中身は見えませんが直ぐにわかりました。それはお祖父ちゃんの大好物であると直感したからなのです。その通りでした。まだ今朝も食べていません。じっくり賞味したいと思っています。
孫が一緒にビールを飲みたいとのことです。孫は現在10歳です。あと10年生きないとその夢の実現が出来ないので、ご迷惑でしょうが心密かに「10年カレンダー」でも購入しようかと長生きを企んでおります(笑)。
今日は午後から孫たちの学校で「フリー授業参観」があるそうです。二人の孫たちから「是非、来てね」と時間の指定まで貰っているので老妻と「歩禅」を兼ねて授業参観に行ってまいります。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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