~歩禅の道端で見つけました~
他人の庭先です。
失敬して「写真で取りました(=撮りました)」ので花泥棒などと言う洒落た生業ではございません。午後3時に妻と一緒に農協出店の「野菜」を購入する主たる目的で歩き始めました。立ち止まった妻が指差す先にこの花が見えました。「これって紫陽花の花ですよね」と妻が不思議そうに声を掛けましたので注視してみました。草花にそんなに詳しくない小生でも紫陽花の花ぐらいはわかります。確かにそうだと思いながらも「季節感」の伴わない冷たい風に紫陽花の感覚がズレてしまいました。
ふと思い出した画面が浮かんできました。
それは今朝の天気予報の番組でした。気象予報官の方が、「今年も代々木公園の桜が咲きました」と言った場面でした。解説を聴いていたら、その桜は去年からこの時期に咲いたそうです。予報官の言葉に「やっぱり今年も・・」との頭出しがあり専門家の判断を揺り動かすような異変が地中でも起きているのだと考えたことでした。桜は春、紫陽花は梅雨時期との固定概念も崩れるのでしょうかね。
思わず、妻に向かって「これって、狂い咲きだよな」と乱暴な言葉を発している自分が可笑しくなってしまいお互いに苦笑した瞬間でした。地中深い部分でも夏のような地変でも起きているのでしょうか。
ラジオでは空から宇宙ロケットの破片が日本上空には落下する危険性があるとも報じていました。空からも思いがけぬ大きな破片が落下したり、地中では異常な暑さで花まで狂い咲きをしてしまうような時代になったのかな(笑)。
世界中での「政治の異変」も気になりませんか?人間様も変わってしまっても変じゃないのかな?
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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