~30年も前の同僚が来訪~
小生が転勤3校目の職場で出会った。新採用として着任した彼は、専門教科が英語と言う共通もあり接触機会は他の新採用(当時は毎年3~5名の同期採用あり)の同僚より多かった。先輩の退職と同時に生徒数の激増で1学年10クラスもあった時代である。急増する生徒数に比例して新採用の数も多くなり学校教育環境も大きく変わらざるを得なかった。
数年後から学校生活の秩序が乱れ始めて勤務校であった。瞬く間に「手の付けようのない」学年が出現した。我が物顔に新採用教員をからかう輩も珍しくなくなってしまった。
本日の珍客はそんな新採用時代を過ごした元同僚である。
生徒指導に明け暮れると授業の準備も疎かになる。授業の準備が不完全であると授業自体が面白味が半減するのだろう。授業中なのに廊下が生徒たちで混み合う状況になるのにそんなに時間はかからなかった。教員の真面目な性格と生徒たちの暴力的な言動とのアンバランスで精神状態が錯乱して採用後数年で退職してしまう教員が目立ったことも思い出話として登場した。
なぜならば、次の学校に転勤した「本日の珍客」も、小生も全く気付かない内に退職していたのである。私的な関係ではあるが小生夫妻は仲人役も仰せつかったほどであったにも拘わらず、人知れず悩んだ彼は奥様の支援を受けて転職してしまった。発覚した時点で電話での追求(笑)となったことも懐かしい思い出話となった。
この常磐線の駅を利用しての仕事で昨日から水戸市に来ているとの電話が飛び込んだのが、今朝の9時ごろの出来事だった。仕事を終えて帰路の途中下車で訪問したいとの説明だった。駅まで迎えに出向いた。積もる話には尽きないが、既に予約している来客があるので早めに来てもらったが、あっという間の時間が過ぎてしまった。
旧友は良いモノだ。
帰路は土浦駅の利便性を考えて車で送って行くことにしたが、片道15分の車中も思い出話でてんこ盛りになってしまった。二人のお子さんも大人になって立派に成長しているようだ。子育てには苦労は付き物である。そんな励ましを送りながら見送って帰ってきた。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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