~カメラを向けるチャンスを逸す~
バッグには常備しているはずのカメラを不携帯のままで歩禅に向かってしまった。
自宅を出て孫の通学路を途中から外れ、田んぼ一帯を通り抜ける立派な広い農道を選んだ。取り入れの済んだ田んぼからは大役を果たした安堵感すら感じ取れる。ここで収穫された米は放射能セシウム濃度レベルはだいじょうぶだったんだろうか?余計な心配が過るのが辛いご時世ではないか。
農道であるので農作業の車が2~3台行き交うだけで、歩くのは快適である。地面であることが足裏にも安定感があり膝にも無理が無いような快適感なのである。この地に来て「人と人との距離」を近く感じることができるのが嬉しい。つまり、行き交う人の殆どが「挨拶できるモード」であるからだ。全く知らない我々夫婦にも人懐こく「こんにちは」「お早うございます」との声が掛けられ、当初は少々の戸惑いもあったが今では、こちらからも先を切って挨拶の言葉を掛けることが出来るようになっている。農作業中の人たちからも声がかかる。正に至福の瞬間でもある。
今日は、いつも遠くに見える筑波山が見えない。西空には雲が多く、昨日からの天候不順を証明しているようだ。農家が立ち並ぶ街区を通りながら足が止まった。住居が撤去されたのか更地になっている住居跡のようだ。200坪はあるかな?更地には「たんぽぽ」の群生があった。綿毛が飛んでいくたんぽぽである。風もなく穏やかな夕暮れ時であるのでその情景は観ることが出来なかったが、確かに「たんぽぽ」であった。
たんぽぽは「春の季語」では無かったですかね。そのうちに日本文化の俳句から季語が消える??そんなことを考えながら帰宅した。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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