~日本文化の中で芽生える異文化~
現在の自宅は私道も行き止まりで、突き当りは栗畑である。
夕暮れ時になった。どこかで見たような服装の女の子たちが4~5名で母屋の門周辺をうろうろしている。ハローウィンという異文化がここ土浦の自宅前にも浸透してきているのか!元・中学校の英語教師としては仄かに残るワンシーンが走馬灯を巡る。実際に留学した経験もない中学校英語教師が「・・らしいよ。・・・するんだってよ。」と、教科書で扱う Halloween なるキリスト教文化について講釈をしたのである。当時の中学生が、門前で蠢いている女の子たちの親の年代だろうか。走馬灯は急回転しながらその頃の英語の授業風景を映し出してくれるが、30年後の「親の世代」までの映像など在る筈がない。異文化の排除などの意識はさらさら無いが、「何でも取り入れる」コマーシャリズムに煽動されてしまう日本人の生活信条の緩さには警告を発したい気分でもある。
孫たちを連れて今日は市内で最大のショッピングモールに行ったが、「かぼちゃ」(人面に刳り抜かれた)やキャンディやお菓子類が山になっているところには多くの人だかりが発生していた。今日は10月30日である。明日が欧米のキリスト教文化圏ではそのハローウィンであると、知識としてだけ小生は承知はしている。つまり「知っている文化」なのである。
英語の授業とキリスト教文化は密接である。その文化の中で生まれた言語であれば当然である。担当教師ては「知識のばら売り」をして授業を成立させたが、重要な文化論と生活論は英語の授業では出来ていないような反省も蘇る。
ただ一つだけ言いたいのは、商業主義に振り回されている若者文化の行く末が心配であることだ。バレンタインデーとチョコレート商戦はその最たるものとして今でも不愉快になるのは、その恩恵を受けないから??義理〇〇〇なんて、派生した日本文化として存在すること自体が恥ずかしい事態と捉えているのである。読者諸兄のお考えやいかに・・・!?
夕暮れに雨も降り始めた。インフルエンザも流行している。学級閉鎖も実在している。正しい健康管理を優先させてほしいと願うだけで、子供たちの娯楽まで妨害しようと思っている訳ではない。これだけはご理解願いたい。
ハローウィンが来るともう11月。新居も暖房準備のためにチョッピリ部屋の模様替えをしました。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿