~大往生の伯母を葬送するための帰省~
8人の「きょうだい」も、9人の「わが子」も全員健在の目出度き一族の長老女が逝った。
高知の講演旅行から帰宅したばかりの所に従姉から訃報の電話であった。満102歳での大往生はいつやって来てもおかしくない年齢でもあった。思いがけない訃報ではなかったが「ついに来た」と思いながら妻と一緒に郷里に向かった。金木犀の香りに迎えられお通夜の月は十三夜でもりあり何とも言えない葬送の情に駆られてしまった。
大往生には涙は無い。そんな思い込みも崩れた。安置されている遺体に向かい合った妻は号泣した。もらい泣きする従姉妹たちの声に小生の胸も熱くなった。妻の義理の伯母である。血縁の度はほとんど無い老女なのであるが、深い人間性と温かい愛情を全身に受けて育った妻としてみれば実母の他界に匹敵する哀しさのようであった。一人っ子で育った妻は、この伯母の所にいる9人の「いとこ」達は実の「きょうだい」としてこの伯母が接してくれて戴いたことが妻の泣き声が証明していた。
長寿の伯母は「きょうだい」の長女。末弟さんが81歳で全員が健在とはこんな目出度いきょうだいも多くない。伯母が産んだ9人の子供たちは末娘が還暦を迎えた。これも9人全員が健在である。目出度さの二重奏である。
九州新幹線の駅(=新八代駅)で降りた瞬間の故郷の空気は、やっぱり美味しかった。訃報で帰省したにも関わらず空気は美味を添えて迎えてくれた。小生の両親はとっくにいない。小生の九州に住んでいた「きょうだい」3人とも既に他界している。迎える親きょうだいは誰もいないが、やっぱり生まれ故郷は健在であった。
当座の務めを全て済んだ妻は安堵したことだろう。冥福を祈りつつ昨夕、自宅に帰宅した。元気のいい孫たちに笑顔で迎えられ、哀しさも疲れも吹っ飛んで行った。しかし、ひそかな疲れを感じながら一日が始まった。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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