2010/11/18

もう、こんな時期?

 ~喪中の葉書が数通届いて~
 確かに新しい年賀状は、注文していたので発売日には郵便局から配達していただいている。
 ここ数日間、毎日1~2通の「喪中の葉書」が届き始めている。差出人を確認して、裏面を読んでハッとする内容もあり、「知らなかった!」と、今年も例年通りに不義理を感じる時期になったようだ。「もう、そんな時期になっているのか」と届いた葉書を見詰めてしまう能天気な爺は、今日はストーブを友としている時間が多かった。
 午後のメールチェックで注目した内容があった。メールの一部分を紹介しよう。
 ・・・(略)ところで、機会があれば、また先生のお話しを伺いたいと考えています。それは、「日本を再生するための人づくり」、つまり「保護者の自覚について」なのです。日本はこのままでは決して再生しないと思っている市民が増えているように思えるからです。今こそ、21世紀後半から22世紀にかけての日本再生に向けて「米百俵」の精神を復元するべき時を迎えたような感じがしてなりません。・・・(略)
 この送信者は、教育産業界で活躍している方で、先だって長時間の取材を受けた人物である。その取材が冊子にまとまったのでお送りしたというメールが主文であった。その後段のメッセージがこれであった。教員とは名ばかりの老輩で、「米百俵」に纏わる歴史的事実も上辺しか知らない小生にとっては「教育100年」という壮大な理念には「ものを言う」資格など無い。
 しかし、このメッセージにはわが国の教育界の現状を追究する迫力を感じてしまった。受けて「対話をしたい」と言う野次馬根性が頭を持ち上げている。読者には滑稽に見えるだろうなぁ~。送信者が編集した冊子の中の小生に関する掲載ページは、この冊子が発行された後に、このブログでも詳細に触れてみようと考えている。少々お時間をいただきたい。
 夕食前。ストーブの前に座って国会中継を見た。こんな光景を国民が見て良いのかい?と思わず自問してしまった。空席の多い大相撲中継の方がまだ心にゆとりを感じてしまったのは何故だろうか。「天下国家論」を交わすべき国会(国内最高の議場)が焦点の噛み合わない論議に終始しているのを見届けると、議論の結末を観る気分にならずにスイッチ・オフであった。哀しすぎると思いませんか?
 日本の行く末はどうなるのかい?孫達の時代は大丈夫かい?小市民的ではあるが身近な問題を考えるだけでも心細くなってしまう。届いたメールの送信者とお会いしたくもなるモノだ。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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