~喉元過ぎれば熱さを忘れる~
今朝は宅配便の事務所経由でJR茅ヶ崎駅まで行ってきました。
発送する荷物があるので「歩く」ことは無理です。自転車にしました。風の冷たさを全身に受けながらペダルを踏むのも結構厳しいモノを感じる年齢になってしまったようです。しかし、用務は果たせました。早い時間に宅配便の事務所に着くと通常の窓口と風景が異なります。「当日便」という便利な取り扱いがあり、首都圏への早便で今日の夜までには届くという信じられないようなシステムを活用される方々の姿が多くなるからです。息子も娘達も首都圏に住んでいるので、時としては我が家もその恩恵を十分に享受させて貰っています。これから年の瀬を迎えると大混雑することも想像できます。
JRの「みどりの窓口」でも異様な光景。
整理券を持った人たちの列。今日は12月30日乗車のチケット販売日だそうです。喉元過ぎれば熱さを忘れる、という古諺を思い出しました。大昔(笑)、それはまだ結婚して数年が経った頃。赤ん坊を九州の親に見せるために帰省列車に乗るのです。所謂、帰省ラッシュに飲み込まれるわけです。子ども連れには「往くも帰るも」地獄の沙汰でした。突如として泣き出すわが子を睨みつけたい衝動を抑えるだけでも至難の業。整理券の番号順でチケットを購入される方々の様子を見ながらふと、「もう、師走のモード」と自分に言い聞かせながら帰ってきました。
小生の目的は、2日からの広島への出講旅行のチケットの購入。通常は券売機で購入するのですが、今回は往復に複雑な動きが生じているので券売機が対応してくれません。そこで、師走モードの中での窓口対応を選ぶしかなかったのです。
帰宅して、妻にその話題をすると全く同様の感傷に浸っていました。
苦労して帰省したわが子達もすっかりご成長なされ(笑)、帰省という言葉も忘却していることでしょう。首都圏で産まれ、育って、首都圏に居住していると「故郷・田舎」という言葉も死語になってしまいます。親の代で「九州のふるさと」は消滅してしまうのでしょうか。ちと、寂しい気分にもなってしまいました。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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