2011/06/30

「上半期」が終了する・・・

 ~鳥の鳴き声で目を覚ます幸せ~
 昨年から請け負っている「教員採用試験受験者」対象の講座も、26日に最終回の講義となった。ということは本番が直近であること。受験者の形相も変わって来ていたのを思い出しながら、スペシャルサービス(今年度から)の期限付き『添削指導』も最終受信の原稿を以って完了した。上半期が終わったという実感である。
 多方面にわたり「教育課題」が提示され、それに対して論究するという「小論文」の添削をしながらふと「若かりし自分」を思い出すことがある。立派な論文を提出する「教師の卵」の皆さんの論述力に感心しながら我を振り返るのである。「何も知らないまま・・・」に採用され、先輩に足蹴にされたり蔑視されたり、そして最悪の事態は校長に「辞めますか」と言い寄られた光景が浮かんでは消えるのである。
 良くぞ教員道を全うできたなぁ~、と思えば思うほど「人との出会い」の妙を感じぜざるを得ない。優しく慰められたり、労わってもらった記憶は蘇って来ないが、叩きのめされた先輩教師の「厳しい一言」が何故か鮮明に浮かび上がってくるのが今更のごとく不思議で仕方がない。
 あの厳しさの風景の中には「無限の愛」が潜んでいた!?
 昨年からのこの講座との出会いは、「報恩の儀」として、諸先輩が企まれた『罠』ではないか。恩返しの足りない愚鈍な小生への「厳しくも優しい」試練の場が準備されたのであろう。そんな充実感をいただいて今回の「一次試験」対策の任務を終えることができた。7月3日が受験日である。「恩送り」の心情で当日の奮闘を祈るだけである。
 爽やかな朝の空気の中で、鳥たちの囀る声が耳に入る。
 その声で目をさまし、雨戸のシャッターを上げるとひんやりとした風が舞い込んできて心地よい。さあ、これから今日の出立の準備に取り掛かろう。

2011/06/29

気が付けば「栗の実」が枝に・・・。

 ~画面で「見えますか?」~

 転居先にもどんどん慣れてしまうと道不案内の不安心も溶けて移動範囲を広くなるのでしょうか。一日が飛ぶように過ぎていくようなリズムになってしまった(笑)ようです。「梅雨明け」のような高い青空から注ぐ真夏のような陽射しを受け止めながら、明日からの旅の支度に取り掛かったところです。

 陽射しを見上げながら、妻が叫んだのがこの写真の一角です。

 栗の実が見えますか?気が付けば、独特な栗の花の匂いもいつしか消えていました。そして見上げた青空をバックに緑色の実が目に入ったようです。久しぶりにデジカメを持ち出して「栗の実」を居間から撮ってみました。初年度なので何もかも珍しく映るものでしょう。
 地面を見れば、これもすっかり忘れかけていたミニバラが見事に咲き誇っているのです。

 老妻が「母の日」にいただいた鉢植えの花でした。引っ越しの荷物の移動でいつの間にか枯れかかっているのを発見して慌てて庭の片隅に「謝罪の意」で植え替えたのです。そのことも忘れていたのですが、足元にも命の復活で存在感をアピールしていてくれました。栗の実に気が付いて、やっと足元の花にも気づけたということは、少しずつ足が地についた新居の生活が本格的に発進し始めたことになるのでしょうね。

 暑中見舞いの葉書が飛び込んできました。

 そんな時期になりました。今年も厳しい夏になるらしいですよ。どちらさまも熱中症等にお気を付けいただいてお過ごしください。

明日から3日間鳥取市まで行ってまいります。また、このブログは休刊します。お許しください。

2011/06/25

江戸時代に学ぶ・・・

 ~ここは「水戸藩」のお膝下?~
 徳川御三家の一つである「水戸の徳川家」のお膝下に住居を移したんだ!
 この記事は、神奈川県の地方版では読むことのできない内容ではないか。実は正直なところ、まだ、瞬間的な着想は「神奈川方式」であることが多い。新聞を開き読みをしながら「地方版」に登場する地名に全く馴染みがないからであろう。しかし、全国を回っている小生にとって、講演当日の朝刊を「前置き」の語りに引用することも多いので地方の情報収集能力は長けていると思い込んでいた。しかし、それはあくまでも「旅の人」の旅情的な思いであり地元意識ではない。
 母屋から届けられる朝刊に目を通している部屋はホテルの一室ではない。「我が住まい」である。この情報は、転居して初めて地元意識を掻き立てる新聞記事に遭遇したことになる。JRを利用すると1時間もかからない近距離の「江戸時代の水戸藩」があることに意識が高まった。
 日本公文教育研究会に所属して、「子育て支援センター・顧問」という大役を仰せつかって本腰を入れて『子育て』について研究した。無責任な親業を反省しつつ、恥じつつも全国での「子育て支援・講演会」に数多く登壇した。その研究材料の中で「江戸の子育てに学ぶ」というジャンルに到達した。そこからは「寺子屋」制度なる教育の組織体制の威力も、歴史上の字句とは異なる深い学びを得た。そんな思いも、この記事と一緒に彷彿としてきた。
 その後、後輩教員から「大江戸、耳寄りばなし」という田中優子教授のオピニオンも紹介され、改めて「江戸に学ぶ」という角田明式・ジャンルが出来上がりつつある。教授の著書をさっそく取り寄せて読んでみた。読みながら立ち止まってしまうことの多かったこと。江戸時代の人々の生活の営みの多様性を驚いてしまったからである。
 「江戸から学ぶ」意識で水戸市を訪れてみたくなっている朝である。

 今日は千葉県に住む孫たちに会いに行きます。車で、とも考えたのですが明日が横浜市での出講となるので今夜は泊って、明日はそこから横浜へ直行することにしました、車での訪問は次回に回しましょう。明日の帰宅は夜遅くなります。従って明日は、当ブログは休刊になる可能性が大となります。ご了承ください。

2011/06/24

再放送の画面に喰らいつく

 ~貴重な情報を授受して~
 世はまさに超高速情報化時代と実感。
 当方のブログでのぼやきに数通のメールや電話が届きました。そして、その情報に基づいて今朝、8時半から老妻と一緒に画面に釘付けになってしまいました。前回の場合は、リモコンの悪戯的操作の先にあの番組がありました。今回は、初めに「見たい番組」ありきの状態での対応となりました。前回は見過ごしてしまった未練心から「録画撮り」というつぶやきを発してしまいましたが今朝は違いました。メモするノートも準備して待機する対応です。こんな場合は録画撮りの甘えはありません。

 ★今、美しいだけでなく1000年先の美しさを追求して作り上げる ★解体することができるには、解体しながら当時の技術や文化を知り再現できる能力があるという資格が必要である。★1本たりとも同じ木は存在しない。★どんな木でも、時間が経てば曲がるものである。★切れる刃物は嘘をつかない。だから研ぐのである。★どんな仕事も一人前になるには最低でも10年は掛かる。その最低条件がその仕事が「好きである」ことではないか。

 実はここに列挙した事柄以上に、胸をえぐるような表現がありました。ドキッとするような言葉ですが小川三夫氏の言葉はさらりとしていました。それについては、どっかの会場で「披露する気分」になりましたら公開(講演)することをお約束します。いつ・どこで・誰に・・・・は、現状では全く未定でございます。ご了承いただきたい。
 ビデオをお撮りになった方は、当方の胸が締め付けられた場面を再度ご覧戴くことをお願いします。収録ビデオテープをこちらへ送付等のお気遣いは無用です。直に、ペンを持って記録しましたので十分に資料化することができます。情報のご提供、本当に有難うございました。
 研いで、研いで、研いで、その行為に明け暮れることで初めて精神が研ぎ澄まされる、のだそうです。研ぎ澄まされた感性の世界で授業をやってみたくなりましたが、研いで、研いで、研いでいる内にわが人生も終わってしまいそうです(笑)。
 読者の皆さんには、ご自身の将来のためにも、今の時間を「研いで」過ごされる事をお勧めします。要らねお世話とわかりつつ述べることが研ぎ澄まされていない精神状態の証でございましょうかね。

2011/06/23

どなたか、昨晩のTV番組を・・・

 ~感動を再現したばかりに~
 録画できなかったことが悔やまれる朝。
 こんな頭出しで書き始めたら読者の皆さんの中には「えっ、角田先生ってTVは観ないんじゃなかったですか?」と詰問されそうですね。そうなんです、殆ど観ないのですが時々素晴らしい画面に遭遇することもありまして・・、と今朝の後悔の気持ちを公開します。
 NHK-BSプレミアムの番組「たけし アート☆ビート」が、リモコンの悪戯の成果で視聴できてしまいました(笑)。実はビートたけし氏と宮大工の小川三夫氏の対談が見応えがあったのです。小川氏は法隆寺の塔を30歳前に師匠からの直接の指示で建立に携わられた実績はすでに何冊もの書物と沢山の記事を読んで知っていました。たけし氏との肩の凝らない対話には、表面上の軽い口調とは正反対に「重さ」を感じながらすっかり時間を忘れて見入ってしまいました。
 録画が撮れていたら!!と器械音痴の老脳と、事前観察をしていないいい加減な性格をちょっとだけ恨んでいる朝です。再放送でもあるようだったら今度こそ、録画をして「二人の対談」の部分だけは資料化したいと心に期しているところです。
 どなたか、そんな情報が入手されましたらご一報いただければ幸甚に存じます(笑)。

2011/06/22

ラジオを聴きながら・・・。

 ~『恩送り』という言葉に惹かれて~
 「地域の絆をつなぎ直す」という演題での話を聴きながら、今朝も早朝の『湯禅』。湯禅なる言語は当方の造語です。歩きながら「禅」の新境地に、とばかりに禅の心得がゼロの身でありながら、憧れを込めて『歩禅』という造語と出会ってからもう10年ばかり過ぎてしまいました。創作は千葉県に在住の方だったような記憶をとどめている程度で邪気は無い。そして、今度は怖いもの知らずの造語として使用し始めたのがこの、『湯禅』です。
 鍼診療師から持病の慢性腰痛に「腰湯(=半身浴)」を勧められて以来、旅先では腰痛への恐怖心もあり欠かすことなく続けている頗る私的な「禅」でございます(笑)。腰から下を湯船に浸けて20~30分間を過ごすのです。ラジオはその時の伴侶です。NHKラジオ番組の「ラジオ深夜便」はその時間の退屈しのぎに活用させていただいている貴重な番組です。
 今日のラジオに登壇された中野しずよ氏の言葉に『恩送り』が飛び出して驚きました。以前、このブログでも触れた新聞記事から獲得して、貧相な当方の知識に計上した言葉だったからです。お世話になった方々に恩返しをしなければいけないことはわかっていても、現実には直接の恩返しが叶わない場合が多いのです。恩を返せなければ、次代の人へその恩を「送る」ことが重要です、と氏も言葉の重さを噛みしめながらお話しされているのを聴きながら「感動の余震」を感じました。湯禅の時間を満喫できたそんな朝です。
 今日は夏至ですって?
 昼間の時間が一番長い日ですよね。日中の予想温度は30度を超すところが関東地方でも多いとのことです。いつの間にか「熱中症」注意報が耳に届き始めました。電力消費量も気になりだした朝でもあります。どちら様も暑さに対応できるコンディション作りに気遣いながら元気でお過ごしください。
 昨日、郵便局で新発売の「かもめーる」の葉書を購入して来ました。夏本番近し!!

2011/06/21

雉と一緒の昼食

~こんなことって・・・・あり?
 昼食はざるうどん。
 この地に来て住み始めて2か月が過ぎました。老妻が時々、鳥の鳴き声を耳にして鳥の名前を訊いたことがありました。聞いたことのない鳥の鳴き声だったので、わからないままに時間は流れていたようです。今日は陽射しは強いのですが、ここは風が湿気を含んでいないのでさっぱりとした空気に中で午前中を過ごしていました。
 今日はずいぶん近くで、以前に話題になった鳥の鳴き声が聞こえます。新居の1メートル先が栗畑です。東も南も北も栗畑で、下草刈が済んでもまたすぐ雑草が伸びているのが現状です。
 鳴き声が近くなり、リビングの窓の外までやってきました。うどんをすすりこむ音に気遣いながら老夫婦は神経質なばかりに音を殺しての昼食です。すぐそばまでやってきた鳥は?
 実は、見たことのない鳥です。名前など知りません。鳴き声も特徴はありますが初めて聞いたものでした。暫くは鳴き声を発しながら、飛び去ることもなく歩を進めて背丈が伸びた雑草の中に消えていきました。鳴き声が遠くなったらホッとした老夫婦のうどんをすする音が部屋に戻りました(笑)。
 昼食後、すぐに、『調べ学習』(=学校教育の授業手法の一つです)に取り掛かり、この写真に辿りつきました。雉(きじ)の雄と判明したのです。綺麗な鶏冠に特徴がありすぐにわかりました。
 不思議な心情です。
 雉と一緒の昼食、なんて童話の世界のようですが、今度はいつ雄姿を見せてくれるのかが楽しくなるような午後のひと時です。

2011/06/20

昨日は「父の日」だったんだ!?

 ~「経済効果」という錦の御旗~
 クリスチャンでもないのにクリスマスプレゼントに胸を時めかせたり、起源も知らずにバレンタインデーのチョコレート商戦に引っ掻き回される集団があったり、「★★の日」を制定しては消費意欲を掻き立てたりしている国は他に存在するのだろうか。

 在宅していない父の日は、数時間の電車に乗る旅人は昨日も変わりはなかった。

 何気なく目が行ってしまうのは「同じデザインの包装紙」で包まれた贈答品らしいパッケージを持っている乗客の手元であった。PAPAという文字が妙に眩しく目に飛び込んできたからである。今回の旅は妻も同伴だった。偶然とは言え夫婦とは面白いことに気が付いた。それは同じモノに視線が一致していたのである。紛れもなく「父の日」のプレゼントを持ち歩いている人物の持ち物であったからだ。

 長女が小学校の低学年の頃だったと記憶している。

 この父親は「誕生会」と称するお友達の家への御呼ばれのことで憤慨したことがある。誰を招いて誰は呼ばない、という人選がまるで自民党に入るか民主党に入るか、そのための駆け引きでもするかのように幼い子供心を傷つけるような母親の幼児性に気づいたからである。子供は「御呼ばれ」に埃すら感じる幼心の頃である。招かれれば「プレゼント」を用意しなければならないらしい。そんな折だった。父親として「誕生日の重要性」を3人の子供たちに説いた。最も大事なことは「誕生した」時の嘘偽りのない現状報告である。それも、お父さん・お母さんがそれぞれの立場でその場面を再現に近い「お話」をしてあげることが最高のプレゼントである。年にたった1回でも、耳にタコができる程聞かされるだろう。そして、それぞれの誕生日が「世界に一つしかないストーリー」であることを至福に感じることが重要なのに、モノとカネで偽装して幸せを粉飾するとは言語道断。そして細やかなテーブルには母親の手作りの料理が並び、父親は勤務の帰りに小さなケーキでも買って食卓に乗せれば十分である。これすらできない家庭だってあるはずだ。我が家の質素な家計でできることはそれが精一杯だった。

 ★★の日。新聞折り込みの広告が束になって届く。すっかり贅沢に慣れきった幼児を育ててしまったらこの国はどうなるの?消費を煽ることが経済効果だとすれば、それで国家の繁栄につながるとすればその繁栄の中身は空洞でしかない。つまり、少々の軋轢ですぐに潰れてしまう見かけ倒しの「繁栄」でしかないということである。

 5月31日の当ブログを読み返した。

 本格的な出講旅行が始まる6月を前にして、常用したリュックの紐が切れかかっていたので大型モールのカバン店まで出向いて新品を購入した。「父の日」はすでにその時点で茅ヶ崎~横浜の講演旅行のスケジュールがカレンダーに入っていたので、事前に買い物をしたのだそうだ。電車で老夫妻の視線の一致した先は、「父の日の贈り物」だった。夫が背負っているリュックが、実は「父の日」に手渡す品物だったようだ。もう2週間前から「父の日」の贈り物は実用化され活用している。感謝。

 何かにつけて「モノで釣る」風潮は、どうしても解せない。


 疲れて帰った老夫婦の離れの家には、電車の中で視線が合ったパッケージに包まれた箱がテーブルに置いてあるではないか!!中身は大好物の「焼酎」であった。思わず笑顔がこぼれそうな老夫の顔を見つめる老妻があった。偉そうなことを言っても所詮、「モノで釣られて」いるんじゃありませんか?と言われそうでありました、はい!

2011/06/18

新聞記事に思う

 ~母語は道具ではなく、精神そのものである~
 外国語を学ぶことは素晴らしいことである。それが「英語」に限るものではない。外国の人と交友するためにはその国で使用されている言語を習得しなければなるまい。更に親しくなりたい場合には、その国の風習や伝統も理解した方が良いに決まっている。つまり、母国語を理解するための条件である。我が国には「英会話」という妙な日本語が存在する。「会話をする」と言う定義を疑いたくなる。英会話学校とやらの存在感をずっと否定しつつも絶縁するところまで至らなかったのは、この記事の終わり6~8行に解説が付けられているので不思議なほどに納得してしまった。
 書けるが話せない、読めるが聞けない(11~12行目)。
 日本人の外国語学習の始発点に「学校教育」というステージがある。受験英語というツールの存在を重視してきた学校教育のツケは大きい。しかし、それだけではないことも作家の井上ひさし氏が証明していただいている。『母語は道具(ツール)ではなく、精神そのものである』とは、外国語と母国語の大きな差異を言い得て妙である。
 母国語は「精神そのもの」とは?
 この命題を、これからの小学校英語学習を進展させていくに当たる関係者各位には十分に理解していただきた。これは願望でもなく熱望でもない。切望である。「望み」という日本語は、願望・熱望・切望と小刻みに、しかも微妙なニュアンスを違えながら個々に存在する。それほどに緻密で且つ曖昧な意味を携える素晴らしい言語であることも再確認したい。その上に立った母語の授業を真剣に開発してほしいのである。
 曖昧な日本語こそ日本という日本人にとって「母なる国」に確立している文化に立脚している世界無比なる立派な言語である。英語が話せる日本人ならば、日本語の精神をしっかり身に着けて世界を羽ばたいて欲しいと願うばかりである。
 小学校から「英語教育」が始まる新時代が到来したと意識することは「母語(=国語)」教育の見直しが必須であることを頑なまでに叫んでおこう。
 
 今日は転居後2回目の「里帰り」です。
 妻も同伴して出発します。妻は、転居したまま放置している旧宅の草取りと部屋に風を入れるために随行することにしたようである。小生は、今日の午後は茅ヶ崎での『響の会』のセミナーに出講して、明日は横浜での担当講座で講義をする予定になっています。留守しても母屋の長男一家がいるのが何よりも安心です。当ブログは、次回は20日となりますのでご了承願います。

2011/06/17

時代も「やっと変わる」兆しを感じて・・

 ~「理不尽な」という形容表現~
 飼い慣らされた?いや、諦めに近い心境に追い込まれて?
 小生が学校教育畑の人間であるので、思考回路が少々狭まった視野から考えを述べることを最初にお断りしておきましょう。所詮、キミも単なる教員だったのか!?と責められることも考慮に入れながら、次のような「新聞記事」提示します。

「息子に体罰」中学校を恐喝未遂、母らに逮捕状
 長男が通う福岡市立中学校にクレームをつけ、金を脅し取ろうとしたとして、福岡県警は市内に住む母親(46)と知人の男(29)について恐喝未遂の疑いで逮捕状を取った。男は所在が分からなくなっており、県警は見つけ次第、2人を逮捕する方針。捜査関係者への取材で分かった。学校が今年3月、被害届を提出していた。市教委によると、学校に不当な要求をするモンスターペアレントの例は増えているが、学校側が被害届を出して、警察が立件するのは異例という。

 ここまで来てしまったのか。
 この記事に目を通した瞬間の感想はこうだった。歴史と表現すると烏滸がましいが、現役校長時代の歴史的1ページ(光景)が浮かんできた。「理不尽な要求」を突きつける校長室での両親の訴えを、苦慮しながら聞いたあの日が鮮明に蘇ってきたのである。我が教員人生における「小さくて大きな歴史的事実」であると言っても過言ではあるまい。
 あの両親は今は?その子どもは今は、もう大学生か?
 歴史という時間は決して止まらない、瞬時の立ち止まりもない。その子どももあっという間に、当時の親の年齢に達してしまう。「負の再生産」が展開しないことを祈りつつ、無能は校長職を終えた。小生にとっては唯一の苦い経験であり、消化不良のイヤな思い出でもある。学校自体の対処法が社会の急変に着いていけなかった時代であったのかも知れない。
 それよりも以前に、担任教員時代にも珍現象(と、自身は思った)が学級担任を襲ってきた。
 それが「不登校の児童・生徒出現」である。当初、学校は対応に戸惑った。その時点での究極の助言は、「大人が考えを押し付けるより、まず当事者の心を開くように、じっと聞いてあげること」であった。不本意に思いつつも教員は懸命に助言を守って頑張った。事態は全く好転せずに徒に歴史だけは事象として刻みながら「不登校」現象は増加の一途を辿ってしまった。振り返れば、不登校減少が「社会に認知され」、表面上の温もり(=聞いてあげるだけ)で処理されて、学校教育の外に出てしまったら(卒業)誰からも声が掛からずそのまま放置されてしまったではないか。40歳になっても「引きこもり」の現実を見聞きするたびに、あの頃のあの中学生を思い出して心が痛む。丁度その年代である。前述の理不尽な親も同じ年代であると考えればゾッとする。
 どんなに理不尽な要求でも、学校は「ただ聞くだけ」の対処方法は、不登校児童生徒の出現時に学んだことに追随していた。腸が煮えくり返るほどの要求でも学校は耐えながら聞き入れることに全力投球をさせられた。その結果は?エスカレート現象になることぐらい百も承知である。しかし、学校には特殊な「時間枠」がある。中学校には3年間したら卒業して、居なくなるという時間枠である。嵐が吹きまくっても、「制限年数が過ぎれば」嵐の存在感も消えてしまう。つまり、じっと我慢していれば嵐は自然消滅するわけである。そんな苦しい時間を耐えた分だけ「世の中」が変わってくれたら溜飲が下がる思いでいた。しかし、この現象もエスカレータ式症候群と化し、「言い得」「ゴネ得」となってしまい、家庭教育のツケが学校教育に被せられてにっちもさっちも行かない状況下に至ってしまったようだ。
 この記事を見て、「時代の流れ」を痛感しつつ、後輩諸氏の苦労ぶりに先輩として何ら役立つこともなく退職後ものうのうと生きている自分が情けなくなってしまった。
 このブログでは原因への言及もできないが、戦後教育の大きな責任をしみじみと振り返っている朝である。

 

2011/06/16

放談も「記事になると」・・・立派に見える?

 ~「不思議」のからくり~
 届いた封筒を開けると、忘れかけていた時空が戻ってきた。
 小学校のPTA主催の「子育て放談会」(ネーミングは当方の独断)に出席した折の記事が送られてきた。性分からしても、こんな事後証明書は見たくないし読み返したくもない。何より照れ臭いのである。多くは歯の浮くようなお世辞が満載されているからである。しかし、この広報紙には、そんな先入観は不似合であった。年寄りの「思い込み」もここまで来ると哀れに思われるかもしれない。さらりとした表現にすっきりと謝意を受け止めることができたからである。
 傍で遊んでいた3歳の孫に、老妻が「この人、知ってる?」と広報紙を見せると、ニコッとして「知ってるよ。お祖父ちゃんだよ」とさらりとした言葉返しである。そして、「お祖父ちゃん、楽しかったの?」と聞き返され、内視鏡でも透されているのかと孫の顔を見直してしまった。確かに楽しい時間であった。
 講演会?最近は、特に子育てというジャンルでの出講では形式も内容も正真正銘の『放談』になってしまっている。「子育て」なるものを、講演や講義を聴いて考える時代になってしまっていること自体に違和感を感じているからである。子育ては失敗だらけ!3人の父親としての懺悔にも似た猛省から誕生した角田語録(と、ある雑誌記者に表現された)である。人間は皆、失敗作だ!この放言(=暴言)は自らを慰めるためだけに豪語してしまった捨て台詞でもあるのに、いつの間にか「角田ワールド」として括られてしまって赤面の思いである。決してふざけ半分でモノを言っているのではないことぐらいは読者の皆さんにはご理解いただいているとは思うものの、一言添えたくなるのは小心者の証か。
 真剣に「育てる」ことの本質を追究するにつけ「育つ」ための諸条件を考えてしまう。皮肉にも、ここ数本の講演依頼に共通する言葉が「育成する」と来ているではないか。「育てる」意識の有無と、責任感の軽重を分析しながら資料の準備に入らなければなるまい。放談をこのように受け止めていただいた小学校のPTA関係者に心から感謝しなければならない。また、お声をおかけください、次は、ちょっと放談、しっかり講演・・・の姿勢でお伺いします(笑)。

2011/06/15

読書には興味関心が高い?

 ~どうやって本は選ぶんですか?~
 ここ数回「本を読む」話題が、当ブログで続いてしまいました。
 それには訳がありますが、部外秘です(笑)ので公開いたしません。しかし、小見出しに示したご質問にはお答えします。ただ、いい加減な性分の小生をご存じであれば立派な答えは返って来ないので心してお読みくださいね。
 答=読んでみたくなったから
 Q:読みたくなったポイントはどこにあるのですか?
 答=目次のホンの一列の文字表現に興味が湧いたから
 Q: たった一行の目次だけで本を買うんですか?
 答=そうです。
 実は、貧乏な百姓の三男坊で育った小生は、小学校5年生の時、初めて「図書室」なる夢のお部屋を知りました。その日は今日のような梅雨空で外遊びができず、体育の授業を諦めた担任の先生が図書室に児童を閉じ込めただけだったのです。人の運命はどこにその方向転換の方位計があるかわからないものですよね。行ったことなどありませんが「天国」のような、現実とはかけ離れた夢の世界となったのが図書室という方位計でした。
 子供心に「雨雨降れ降れもっと降れ・・・」と願う日が続いたのも思い出します。担任の先生に直訴したこともありました。その都度、担任の先生は「静かにする」との約束だけを課され、図書室に児童を放置して(笑)快適なお時間をお過ごしになったと後日談で知りました。先生も快適だったら、負けじと小生も快適空間に浸ることができました。そんな担任の先生に今でも感謝しております(笑)。
 その日から、貧乏の小倅にとっての『夢』は、自分の好きな本を、自分の稼いだお金で「腹いっぱい」買って本箱に整理整頓(=図書室)することに変わってしまったのです。
 解答が外れたようですが、実は命中しているのです。
 旅先の駅ビルで時間つぶしをする場合でも喫茶店に座ってコーヒーを飲むより、立ち読みをする時間を選びます。そして、数冊を買い込んでしまうのです。購入のポイントは目次です。1つでも「お気に入りのフレーズ」があると買います。とても贅沢な快感を満喫するだけの道楽なのです。
 ご期待通りの答えにはなりませんでしたね、やっぱり。
 実は読書というのは義務で執行する行為ではないのです。そして、感想を求められるために読むものでもありません。しかし、知的財産はあふれる程頂戴できます。
 他愛のない返答に仰天でしょうか?そんな性癖ですから、いつの間にか部屋は本だらけになってしまい家人に鬱陶しいと毛嫌いされています(笑)。

2011/06/14

「旅の伴」には本が、やっぱり一番!

 ~本もいろいろ・・・・~
 人生いろいろ。本もいろいろ。
 転居して2か月が過ぎて、その間に電車を利用しての移動時間も60時間を超えた計算になる。初めて旅する地への車窓には惹きつけられるモノが多いので退屈感はほとんどないが、「通いなれた」行程では腰や肩の痛みさえ併発したかのような疲労感に襲われる。特効薬を考えるが飲み薬も貼り薬も期待できない。そんな悩みを解決してくれるのは、やっぱり本である。
 講演行脚を始めた退職直後は「移動の楽しさ」と「未知への旅」に対する感情抑制だけで結構時間も保てたものだった。しかし、ここまで7年もの継続事業(笑)ともなると「興奮や期待」度も摩耗してしまったのか新鮮さも欠乏状況となっている。この症状への特効薬は、やっぱり本であろうか。
 随分前置きが長くなってしまったが、昨日のブログに表した決意を早速今朝実行しましょう。
 土浦駅から読み始めて柏駅までの43分間。呼吸をしていたのか?と問い返したい気分になるほどの集中力だったかもしれない。単行本(時価740+税)1冊が、見事に「旅の伴」の大役を務めてくれた。読み終えて車窓を見ると、柏駅を電車が出発する時刻だった。松戸駅を過ぎて江戸川を渡り、中川~荒川橋梁を通過すると隅田川橋梁である。この鉄橋越しに「今一番お気に入り」のパノラマが開ける。梅雨時期独特の曇り空にスカイツリーの頂上は霞んで雄姿は見えなかったが、そんな光景も旅情をそそる。読後感という感動は伴わないが、読み終えたばかりの単行本から引用されたデータが妙に頭の中を駆け巡る。深く思考するような内容ではないが、時には苦笑したり納得したりできるので「気軽に楽しめる」本であることは、当ブログの読者の皆さんにはお伝えしても差し支えないだろう。
 読み終えて車窓を楽しんでいると、車内アナウンスが「間もなく終点・上野駅です」と伝えられる。我に返ってリュックを背負って、構内を急ぎ足で山手線に乗り換える。品川駅まで行って京浜急行・特快「三崎口」行きに再び乗り換えて往路の旅(2時間半)は目的地まで続くのであります。
 気楽に読める本は、やっぱり旅の友としての最高級レベルになることを痛感した。小生のHPに登載するイチオシBOOKSでも、「推薦理由や感想」は添えていない。なぜなら読後感は、読者の主観の伝言であり、時として押しつけにも似た感情移入になってしまい、不快感を覚えるからである。今日の読後感は気楽に読めて時間つぶしにも役立ったことだけをお伝えするつもりで書いてみただけである。ご理解をお願いしたい。皆さんからも「こんな本」のご紹介があると嬉しいですが・・・・。
 

2011/06/13

昨日は「横浜」、今日は「横須賀」

 ~遠出も厳しいですが、近場の連続も・・・~
 それだったら、横浜にでも宿泊すれば?
 実は考えてみたのですが、48年間も住み慣れた「神奈川県」には、宿泊するという括りには似合わないのです。つまり、浜松や名古屋、あるいは鳥取、広島、それに高知のように定宿が存在する地には「未知が満載」であり宿泊に抵抗がないのですが、「すぐに帰ることができる」距離感では、何となく「時間を持て余す」心境になり耐えられないのです。
 そんな踏ん切りのつかないバイオリズムの指令で、結局片道約3時間の「電車の時間」を選んでしまいます。まだ、常磐線の旅への「未知への関心」が勝っているということでしょうか。何と言っても、松戸駅を通過した車窓から「きたせんじゅ」駅に近づくと、完成が近くなっているスカイツリーがくっきりと視野に入ってくるところに「未知の満載」の醍醐味となって旅人である現在の小生を虜にしてしまうわけです。友人と訪れたスカイツリーが、あの時より更に工事が進んで完成が近づいている雰囲気からは新時代到来のオーラを感じ取れるから不思議です。
 しかし、やっぱり連日の往復6時間の電車の旅は厳しいモノです(笑)。
 この感覚が、いずれは「もう、いいよ」とばかりに仕事への拒否反応に繋がっていくのでしょうが。7月に入ると、2週連続で鳥取市と高知市を往復する予定が待っています。新幹線を利して時間短縮はできるとしても限界があります。今年、上半期の山場でもあります。
 インターネットショッピングで注文した書籍が、昨日、初めて新居に届いていた。今日の旅の友としてその中の1冊である、『「持ってる人」が持っている共通点』(小笹芳央 著)を選んだ。片道の退屈しのぎになることを期待しつつ、本日の旅の準備に取り掛かりましょう。読後感は、「書きたくなる本」であったら書くことをお約束します。

2011/06/12

早朝の読書で爽やかな衝撃!

 ~講演のレジュメを送ったばかり・・・~
 敬愛する(一方的に)某氏のエッセイを読んだ。
 「学校で育てたい人間像」というタイトルで書かれているので興味津々なる姿勢でページをめくりながら引き込まれてしまった。書物の中の小さな活字が拡大鏡で見るかのような文字化けには、未熟な大脳(老化のために縮んだのはない)に血液が流れ込む音すら聞き取ってしまった程である。これが「衝撃」という現象であろうか。

 ・・・「学校で育てたい人間像」というテーマをいただいて、そこでハタと困った。子どもは「育てたい」のではなくて、「育ってしまう」のである。「ひとりでにそうなる」、それを自然という。自然に対してできることは「手入れ」だけである。なんとか、こちらが思うような方向に行ってくれないか。親ならだれでもそう思うであろう。でもなかなかそうはいかない。うまくそう行っている面については、じつは何も考えていないはずである。そこには抵抗が一切ない。問題がない。それなら「育てたい」もクソもない。当たり前だと思っているだけであろう。手入れという言葉は、自然のものを相手にするときに使われている。道具のように、人工物に対しても使われる。・・・・・・

 講演の主催者に送ったレジュメのテーマは、~教えなければ育たない~である。
 皮肉にもこのエッセイの真逆ではないか。子ども達の自主性を尊重するという主義で「何も教えない」「子どもが自ら考えるまで待つ」指導法だけで対処する教員集団と数多く出会った。その現役時代の苦渋が、いつの間にかこのテーマにたどり着かせたのかも知れない。言い訳?決してそうではないが、小生には小生の根拠もあり講演会場でその主旨を伝えて来なければいけないと深くため息をついている。ブログでは多くを語れない。「育てたように子は育つ」という書物もある。我々老夫婦の子育ての結果を語る時の「慰め合い」の言葉が実はこれである。3人のわが子の現状を見つめながら「育てたように育ってしまったね」、と目と目で語り合いながら、「どちらの責任でもないよね」、と言及する視線に落ち着くのである。
 特集『いま、教育に求められる人材育成』の巻頭言にも当たるようなポジションに掲載されている。第1ページからのエッセイ(上掲)を一通り目を通し終えた朝は、思考回路の血液循環が良くなったような爽やかな衝撃を受けた「至福の時間」ともなった。
 ところで現況を・・・。
 今朝は、ほぼ1週間をボケ~っとして過ごした老脳に喝を入れられた気分である。今日は正真正銘の「お仕事」である。午後日程の講座に登壇するために横浜市まで行くことになっている。幸いにも晴れ間も見えてきた。上りの常磐線(75分間)で、もう一度某氏のエッセイをじっくり読み直すことにしよう。

2011/06/11

「勘違い」って、やっぱり老化現象?

 ~強雨の早朝に目覚めて~
 4時前に起きる。
 日課の『腰湯』を済ませても、まだ気づいていなかった。湯船でラジオ深夜便「自分探しのフォーク人生」を聴きながら窓外の雨脚の音も併せて聴く。高石ともや氏の声を聴きながら遠い昔の思い出を弄っている自分に気が付く。奥様を亡くしても、朝の開口一番は「妻に向かっての言葉」だと聞き取ると胸が熱くなったのは同年代の証なのだろうか。氏の「受験生ブルース」が脳裏を駆け巡ったのは紛れもなく同世代であった。
 浴室から出て「髭を剃る」行為は、今日は仕事があることの証明である。
 鏡に老妻の顔が映る。「どうしたんですか」と言わんばかりである。明日が仕事で今日は休みだと気づいたのは洗面所を出て朝食を済ませて、パソコンに向かった時であった。「やばい!!(笑)」と照れ隠しをしても後の祭り。
 一通りの軌道修正をして(笑)、気持ちを建て直しができたのは午前10時ごろ(写真撮影)であった。まだ雨足が強かった。優しい声で老妻が声を掛けた。「良かったですね、仕事が今日じゃなくて・・・」と。その余韻にムッとするが、ご指摘のとおりである。苦笑しながら写真を撮る。しかし、直ぐにはブログを書く気になれないのも「肥後もっこす」(=方言で「意地っ張り・頑固モン」)であろうか。
 正直なお話。このブログにも昨日、勘違いをして記事を掲載しておりました。
 ともあれ、今日という日は終わってしまいました。明日は確かに仕事日です。間違いありません。そんな状態で過ごしつつ、能天気者は「震災3か月目」を過ごしています。転居して2か月が過ぎました。こんなピンボケ状態で老化が着実に進んでいるようですよ(笑)。

2011/06/10

ノーワークデーの5日間が終わる

 ~「やること」ってあるんですよね~
 退職しているので公務という言語表現は不適格ではあるが、未だそんな意識でいるのだから『◎◎バカ』を地で生きているようなもんです(笑)。つまり、自宅の玄関を出て公的乗り物を利用して会場まで行くことがそんな精神状態になる、ということをご理解いただきたい。
 珍しいこの短期休養の日々。
 何もないからゆっくりできるぞ!とばかりに意気込んでいたはずなのに、結構「家庭内要務」というものがあるんですよ。老妻を助手席に乗せると、ご要望先に向けてひた走るのである。道不案内とは言え、目的を達するまでの執念は時々閉口するぐらいである(笑)。しかし、今回は、正真正銘の「わが身」の雑務が結構多かったので、前言を取り消しますかね。

 先ずは、メガネ屋さん探しであった。茅ヶ崎で重宝していたチェーン店のメガネ屋さんが転居先近隣にあるかどうかが最初の雑務である。長男夫婦に問うと近距離にあるではないか。ラッキーである。妻はほかの用事があるので便乗して同伴した。チェーン店だけあって、メガネのフレームを見ただけで「当店の商品」と判明するらしく、安心して修理と掃除を依頼することができた。しかも、サービスとして無料だったことは意外だった。「やはり、商売が上手なんですよ」と感激した。その感激を連れて、今度は妻の要望先に車を向けた。数回訪れている大型モールなので道も間違わずに直行した。
 妻の買い物時間の待ち時間は本屋さんで過ごせたのが楽しかった。
 『発達障害に気づかない大人たち』(写真版)を立ち読みしていると妻が戻ってきたので、購入して帰路に着いた。気になる本は読み切らないと気が済まない性分である。帰宅してホンの数時間で単行本を読み終えた。タイトルそのままの著者の直言に頷きながら一気に読み終えてしまった。「うん?オレも発達障害かな?」と思いながら、ふと、数日前の後輩教員と個人的意見を交わした時間を思い出して苦笑してしまった。

2011/06/09

月刊誌に学ぶ

~一人の子供を粗末にする時、その教育は光を失う~
 このブログで最近、「月刊誌」を話題にすることが多くなっている、と読者の方々からメールが届く。「そうかな?」と自問する。そう言えば、講座や講演会場にも『旅の友』(=月刊誌を勝手にネーミングしているだけ)を持ち込んで、提供する話題のつなぎに使っていることに気が付いた。この気づきが自問に対する自答である。現在、連続講座を担当している会場に集う聴講生の一人から、「先生、私も◎◎という雑誌を以前読んでいました」と声を掛けられ驚いたことも思い出した。「そうだよ、確かに月刊誌の記事を話材にしている」ことに気づいて、全国の愛読者からのご指摘にも妙に納得した。
 ところで、今日の紹介も月刊誌(「致知」7月号)の記事『致知随想』からである(写真版)。
 注目をしたのはタイトルの表面的な「・・・学力日本一の町」というものではない。投稿者(氏)の哲学(=朱書きで上掲)である。全国の教育現場を巡りながら、「ふと、思う」ことがある。教育行政のトップには教員経験者が選出されている場合が殆どである。そのこと自体には依存など全くない。どんなポジションも経歴や実績ではなく「その人となり」だと確信しているからである。学力日本一の町には教員経験者のトップではない人材が配置されていることを真摯に受け止めた。人選の経緯や深意はわからないが、活字を追いながら唸ってしまった。教育は教育に精通している人だけの聖域だと考えるのは非常に危険であると痛感したからである。他業種で半生を賭けて生きてきた人材は教育界でも威光は放てるのである。
 逆に望まれる教員経験者はいるのだろうか?そんな投げかけをしてみてハッとする。そんな力が自らには存在しないからである。「学校の常識は社会の・・・」とは、まさに的を得た表現なのだろう。せめて、学校教育に携わっている貴重な存在である教員集団が、社会の常識を受け入れつつわが身を磨くことの重要性に気づいてくれたら、この複雑な社会での学校教育も重鎮的存在に生まれ変わることだろう。現状の教育界を攻撃しているのではない。自己反省を基にした自らは成し得なかった難題の解決に期待しているという真意であることをお分かりいただきたい。
 「明日の教師」を目指す集団の指導をしながら、こんな思いも彼らに伝えたくなっている朝である。
 




2011/06/08

今日という日は??

 ~何にもしないで「一日」が終わる~
 ちょっと朝寝坊で今日の一日は始まった。
 4時に目が覚めたのにラジオのスイッチを入れ忘れたのが今日の始まり。昨夕のTVサッカー応援が通常の就床時刻が遥かに超えていたのが原因であった。加齢すれば睡眠時間は減っても大丈夫だと聞いていたが今朝は、「未だ若かった」ことにしよう(笑)。昨日の激務(10数通の添削業務)の名残も老体は記憶していたようだ。その疲れが早朝まで身体に宿っていたらしい(笑)。
 朝食が済んだら母屋に届いた朝刊を読む。
 何ら進展しない(らしい)「震災救済事業」を活字で確かめる。哀しくなる。被災地への思いが募る朝である。ロスアンジェルスに住む(妻の)従姉から電話がかかった。個人的な話題は別にしても、現地の様子を聴いて啞然とした。現地に住む日系人の話題は悲痛にも似ているというではないか。「祖国・日本は大丈夫か。どうして確かな進展が無いのか」と心配していると言う。
 電話を切って、しばらく老夫婦には会話が無かった。
 ここ(「転居先=茨城県土浦市」)に転居して間もなく、「やっと2か月」である。余震の影は潜んではきたものの油断はできない。時折、茅ヶ崎では体感しなかったような地震を未だに意識する。ロスに住む日本人の皆さんの「故郷への思い」も、もっともっと自国民が感じなくてはなるまい。
 今日という日は、全く何もせずに過ごした時間だった。
 孫が帰宅するのを楽しみに待つ「老夫婦」のゆったりとした時間も、たまには良いものですよ。疲れがどんどん取れて行く内に、数日前の筋肉痛に襲われるのであろうか?まだ、今日も筋肉痛の自覚症状が無いのが心配だ(笑)。

2011/06/07

終日の「添削作業」

 ~現役時代を思い出しながら~
 12枚の添削資料に目を通しながら、ほぼ半日を費やした。
 机に向かって、赤ペンを走らせるのは現役の教員時代と同じではあるが、今日のそれは重さが違う。明日の教師を目指す「真剣なまなざし」から送り届けられる「論作文」用紙である。多くの材料が採用試験の合否のカギとなっているだろうが、小生が担当するこの分野は合否を左右する重要なモノだそうだ。手は抜けない!
 昨年からの請負事業として横浜市に会場があるので、この6月はほぼ全日曜日を「ハマ通い」のスケジュールとなっている。受講生のほとんどが現役の「講師」達である。つまり、終日を通常の教員と同様の日程で学校での仕事に従事している人たちである。学校行事もすべてを熟しながら「受験勉強」に勤しんでいる現状を知れば知るほど、「何とか役に立ってあげたい」という心情に駆られてしまう。
 現役の校長時代にも、受験勉強の援助をしたこともある。
 今日の半日は、真剣に書き込んだ論作文をこちらも真剣に読んで添削したので、本当に疲れた。赤ペンで書き込みながら、「読んでいるサイド」の反応まで予想するので、時々ペンが立ち止まってしまう。それ故に時間がかなりかかってしまった。
 すべての事務処理を終えて、駅前の郵便局で投函した。こんな生活もあり??ですね。

2011/06/06

孫とキャッチボールに興じる

 ~「明日の筋肉痛が心配だ」・・~
 そう呟きながら夕食のお声がかりで庭先から部屋に入って来た。
 その声に老妻が反応した。「明日は大丈夫ですよ」と自信たっぷりの答えが聞こえた。「そうかなぁ」と反論すると苦笑いをしながら更に二の手の回答は論理的であった。若い人ほど筋肉痛の反応は速いんですよ、と。と言うことは明日ではなく、数日後に筋肉痛の症状がお出ましになることを心して素直に認知することにしましょう。
 今年小学校に入学した次男孫が3時ごろ帰宅した。
 今日は4年生も一斉下校らしい。帰宅したのはほぼ同一時刻であったが、すでに遊びの約束をして帰って来たらしい兄ちゃんは、祖母ちゃんが用意したおやつを頬張りながら出て行った。残された次男坊がつまらなさそうにしているらしく老妻から遊んであげたら、との助言があった。
 野球ごっこができる広さのある庭なので、日曜日など父親と孫息子たちがキャッチボールをして遊んでいる。昔取った杵柄?父親が小学生のころまでは、時間があれば良くキャッチボールの相手をしたものだった。王政復古?ビニール製のバットと柔らかいボールを道具に日差しの強い午後の時間を珍しく孫守りとして戯れた。「お祖父ちゃん、上手だね」と、中々お世辞も上手だ。乗せられながら興じるうちに坐骨神経痛らしい症状を感じとり5時には動きも止まった。
 丁度、どこかで遊んでいた長男孫も帰宅して来た。
 祖父ちゃんはそろそろ夕食の時間である。さわやかな疲労感を背負って今日の臨時的任用のキャッチボールから解放された。何年ぶりのグローブの感触だろうか。鈍くなってしまった動きに加齢を感じつつも孫たちの成長が著しいことを確認した。
 
 

2011/06/05

久しぶりの(学校の)「記念式典」

~世界で一枚の・・・~
 こんな可愛い絵柄付きの封筒に「1枚のお煎餅」が入っていました。
 記念式典の資料が入っている大きな封筒の中に発見してほのぼのとした気分になりました。最後に勤務した学校が「新設開校」の小学校でしたので、数多くの「記念式典」が必要となり、事前にも事後にも関係者の協力を得て何とか任を果たせた記憶が蘇りました。それは、「学校の・・・」式典では、やはり主役は児童・生徒であることを再確認する時間ともなりました。
 予定時刻より約30分ばかり延びていましたが、花形の主人公軍団が、会場の体育館を所狭しとばかりの声と動きで盛り上げると参会者はすっかり時の経つのも忘れる程に変貌しました。驚きというより当たり前の感動と表現したほうが妥当かも知れません。
 創立70周年。戦前の「国民学校」からの歴史が紐解かれると十歳に満たない子供たちの席からもため息とも驚きともつかない音が聞こえました。学校の歴史を共有する時間が貴重であることを今更ながら痛感しました。
 教員対象の「授業研究会」スーパーバイザーとして、昨年からこの小学校とは関わっています。
 教科指導風景とは違った子どもたちの「実力」を垣間見ることができたことは今後の指針にも影響が出そうな充実感を抱いて、ご招待に感謝して学校を出ました。
 学校教育の原点は授業にあり。そんな豪語を発することができるのも、今日のような素晴らしい『実践発表』を直に見届けることができたからでしょう。これからが楽しみになりました。

2011/06/03

老脳の「勝手な思い」?


 ~「懐かしさ」なんて存在感無し?~
 当然のことですよね。
 僅か2ヶ月足らずの時間(転居して)では、40年の歳月(茅ヶ崎に住んだ)に叶うわけがありません。東京駅で乗り換えて東海道線に乗って目的地・茅ヶ崎市に向かいました。車窓の変化も車内の様子も全く変動はありません。当然のことですよね、数日前もこの電車で横浜市に向かっているんですからね。ただ、車窓から見える風景がちょっとだけ変貌していたのは辻堂駅(東京駅から見れば茅ヶ崎駅の一つ手前の駅)北側の開発地であった。建設工事の進捗状況が顕著であり大きなビルが幾つか目立つようになっていた。茅ヶ崎駅着の午前10時はほぼ予定通りであったので、頗る自然体で「通いなれた」コースを傘をさして講演会場である市役所へ向かった。
 歩きながらも考えた。何かが変わっているのを期待していたのだろうか?自問自答しながら歩いた。そうではない?この「懐かしさ」の存在感を希求しているような心情はどこから発生しているのだろう。
 公務の2時間。
 どこの会場とも変わることなく「つのだ劇場」(某氏の表現)は幕が開き、幕が降りた。小生の講演にはカーテンコールやアンコールは無い(笑)。任を果たして(?)主催者の皆さんと昼食会場に移動した。会食希望で同席戴いた方々もあり、「アンコール」状態に話題に花が咲いてしまった。お礼を述べて、JR茅ヶ崎駅から帰路に着く。お土産まで戴いた。大きな荷物を片手に電車に乗り込みながら、また、考える。茅ヶ崎駅は発着の場所ではあるが「土産品」を持参して茅ヶ崎駅を離れることはなかった。「行って来ます」は言っても「有難うございました」と言い残して茅ヶ崎駅を出るのは初めてである。
 やっぱり違う。交わす「挨拶の言葉」が違ったことに気が付いた。会場で「ようこそ。お帰りなさい」とご挨拶をいただいたこともその裏付けになった。そんな述懐を伴にして「少しずつ」この言葉が現実を証明してくれるのだろうと考える。その内に眠ってしまったらしい。「間もなく品川です」の車内アナウンスで目が覚めた。
 無理矢理に「郷愁」を期待することそのものが老化現象なのかもしれない。
 帰路の常磐線に乗って「ホッとする」感情は、可愛い孫たちが待っている「新世界」が創ってくれているようだ。雨に霞んで完成間近のスカイツリーも今日は見えない。東京タワーを見ながら移動した前世紀からスカイツリーを見ながら移動する新世紀になったのか、と妙に納得した一日でもあった。

2011/06/02

今にも降り出しそうな・・・

 ~「茅ヶ崎」へ出向です~
 転居して1か月半が過ぎました。
 「茅ヶ崎」という地名をブログに書き込むだけでも、ずっと昔に過ごしていたような錯覚が過りました。生まれ故郷で18年、上京して高座郡寒川町で8年、そして茅ヶ崎市で40年間を過ごした計算書が歴史上に刻まれています。そんな歴史を彩らせてもらった第二の故郷(と言っても過言ではない)の茅ヶ崎市にこれから向かいます。
 生まれ故郷(熊本県八代市)に帰る気分とは違います。
 生まれ故郷には郷愁という心情がうごめいて胸が熱くなるモノです。竹馬の友との幼い思い出や思春期時代の青臭さも感じるからでしょうか。しかし、第二の故郷は趣が違います。成人式もここで迎えました。就職をして所帯を持って、子育てに振り回されながら教師道を追究すべく悪戦苦闘の続く日々でした。大人としての厳しい仕打ちも受けました。教師としての厳しい評価もいただきました。還暦を過ぎて6年間を最後に、この「大人の修羅場」の地から離れました。今日はどんな思いで(離れて以来初めて)懐かしの駅頭に立つのだろうか。全く想定ができていません。
 そんなにセンチメンタリストだったのかい?
 親友たちに厳しく問われそうです。Yes とも No とも言えそうなそんな心境の朝です。ともあれ、今日は「第二の故郷への恩返し」業の初日です。襟を正して、しっかり任を果たしてまいりましょう。 

2011/06/01

「県つくば美術館」に行って来ました

 ~初めて「つくば市」を訪れる機会が~

 2年前に他界された方の絵画展が開かれているとの情報を長男から届いた。その方は長男が勤務する障害者施設とかかわりがあったという。施設の絵画教室に通って来られた方だったそうだ。情報はその程度でしかなかったが、会場(美術館)に到着して作品を鑑賞して一周する内に、美術作品の評価に関しては全く無知な小生であるが、展示してある数多くのスケッチブックをめくりながらご両親の愛情をしっかり受け止めることができたことは内心としては充足感で満たされた。

 新聞記事は帰宅してから気が付いた。

 本日の朝刊にその記事が出ていたことは知らずに会場に行った小生であるが、後追い読みをしながら会場の雰囲気が蘇ってきた。記事の最終段階の表現を読みながら、子育ての苦労が偲ばれた。お父様と長男が挨拶を交わしていた。帰りの車の中で、関わり合いを長男から聞きながら、転居してバタバタした生活に慣れてしまった身体に、血液の流れを感じる午前中のひと時であった。

 老妻も鑑賞する予定であったが、長男孫が学校で発熱だとの電話があり、父親が(本日は休日)迎えに行って連れて帰ってきたので「看護」の急務ができたために行けなかった。帰宅して伏せている孫と老妻に報告してあげると「行きたかったね」と老妻が残念がった。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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