~強雨の早朝に目覚めて~
4時前に起きる。
日課の『腰湯』を済ませても、まだ気づいていなかった。湯船でラジオ深夜便「自分探しのフォーク人生」を聴きながら窓外の雨脚の音も併せて聴く。高石ともや氏の声を聴きながら遠い昔の思い出を弄っている自分に気が付く。奥様を亡くしても、朝の開口一番は「妻に向かっての言葉」だと聞き取ると胸が熱くなったのは同年代の証なのだろうか。氏の「受験生ブルース」が脳裏を駆け巡ったのは紛れもなく同世代であった。
浴室から出て「髭を剃る」行為は、今日は仕事があることの証明である。
鏡に老妻の顔が映る。「どうしたんですか」と言わんばかりである。明日が仕事で今日は休みだと気づいたのは洗面所を出て朝食を済ませて、パソコンに向かった時であった。「やばい!!(笑)」と照れ隠しをしても後の祭り。
一通りの軌道修正をして(笑)、気持ちを建て直しができたのは午前10時ごろ(写真撮影)であった。まだ雨足が強かった。優しい声で老妻が声を掛けた。「良かったですね、仕事が今日じゃなくて・・・」と。その余韻にムッとするが、ご指摘のとおりである。苦笑しながら写真を撮る。しかし、直ぐにはブログを書く気になれないのも「肥後もっこす」(=方言で「意地っ張り・頑固モン」)であろうか。
正直なお話。このブログにも昨日、勘違いをして記事を掲載しておりました。
ともあれ、今日という日は終わってしまいました。明日は確かに仕事日です。間違いありません。そんな状態で過ごしつつ、能天気者は「震災3か月目」を過ごしています。転居して2か月が過ぎました。こんなピンボケ状態で老化が着実に進んでいるようですよ(笑)。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
0 件のコメント:
コメントを投稿