~こんなことって・・・・あり?~
昼食はざるうどん。
この地に来て住み始めて2か月が過ぎました。老妻が時々、鳥の鳴き声を耳にして鳥の名前を訊いたことがありました。聞いたことのない鳥の鳴き声だったので、わからないままに時間は流れていたようです。今日は陽射しは強いのですが、ここは風が湿気を含んでいないのでさっぱりとした空気に中で午前中を過ごしていました。
今日はずいぶん近くで、以前に話題になった鳥の鳴き声が聞こえます。新居の1メートル先が栗畑です。東も南も北も栗畑で、下草刈が済んでもまたすぐ雑草が伸びているのが現状です。
鳴き声が近くなり、リビングの窓の外までやってきました。うどんをすすりこむ音に気遣いながら老夫婦は神経質なばかりに音を殺しての昼食です。すぐそばまでやってきた鳥は?
実は、見たことのない鳥です。名前など知りません。鳴き声も特徴はありますが初めて聞いたものでした。暫くは鳴き声を発しながら、飛び去ることもなく歩を進めて背丈が伸びた雑草の中に消えていきました。鳴き声が遠くなったらホッとした老夫婦のうどんをすする音が部屋に戻りました(笑)。
昼食後、すぐに、『調べ学習』(=学校教育の授業手法の一つです)に取り掛かり、この写真に辿りつきました。雉(きじ)の雄と判明したのです。綺麗な鶏冠に特徴がありすぐにわかりました。
不思議な心情です。
雉と一緒の昼食、なんて童話の世界のようですが、今度はいつ雄姿を見せてくれるのかが楽しくなるような午後のひと時です。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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