2011/06/03

老脳の「勝手な思い」?


 ~「懐かしさ」なんて存在感無し?~
 当然のことですよね。
 僅か2ヶ月足らずの時間(転居して)では、40年の歳月(茅ヶ崎に住んだ)に叶うわけがありません。東京駅で乗り換えて東海道線に乗って目的地・茅ヶ崎市に向かいました。車窓の変化も車内の様子も全く変動はありません。当然のことですよね、数日前もこの電車で横浜市に向かっているんですからね。ただ、車窓から見える風景がちょっとだけ変貌していたのは辻堂駅(東京駅から見れば茅ヶ崎駅の一つ手前の駅)北側の開発地であった。建設工事の進捗状況が顕著であり大きなビルが幾つか目立つようになっていた。茅ヶ崎駅着の午前10時はほぼ予定通りであったので、頗る自然体で「通いなれた」コースを傘をさして講演会場である市役所へ向かった。
 歩きながらも考えた。何かが変わっているのを期待していたのだろうか?自問自答しながら歩いた。そうではない?この「懐かしさ」の存在感を希求しているような心情はどこから発生しているのだろう。
 公務の2時間。
 どこの会場とも変わることなく「つのだ劇場」(某氏の表現)は幕が開き、幕が降りた。小生の講演にはカーテンコールやアンコールは無い(笑)。任を果たして(?)主催者の皆さんと昼食会場に移動した。会食希望で同席戴いた方々もあり、「アンコール」状態に話題に花が咲いてしまった。お礼を述べて、JR茅ヶ崎駅から帰路に着く。お土産まで戴いた。大きな荷物を片手に電車に乗り込みながら、また、考える。茅ヶ崎駅は発着の場所ではあるが「土産品」を持参して茅ヶ崎駅を離れることはなかった。「行って来ます」は言っても「有難うございました」と言い残して茅ヶ崎駅を出るのは初めてである。
 やっぱり違う。交わす「挨拶の言葉」が違ったことに気が付いた。会場で「ようこそ。お帰りなさい」とご挨拶をいただいたこともその裏付けになった。そんな述懐を伴にして「少しずつ」この言葉が現実を証明してくれるのだろうと考える。その内に眠ってしまったらしい。「間もなく品川です」の車内アナウンスで目が覚めた。
 無理矢理に「郷愁」を期待することそのものが老化現象なのかもしれない。
 帰路の常磐線に乗って「ホッとする」感情は、可愛い孫たちが待っている「新世界」が創ってくれているようだ。雨に霞んで完成間近のスカイツリーも今日は見えない。東京タワーを見ながら移動した前世紀からスカイツリーを見ながら移動する新世紀になったのか、と妙に納得した一日でもあった。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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