
届いた封筒を開けると、忘れかけていた時空が戻ってきた。
小学校のPTA主催の「子育て放談会」(ネーミングは当方の独断)に出席した折の記事が送られてきた。性分からしても、こんな事後証明書は見たくないし読み返したくもない。何より照れ臭いのである。多くは歯の浮くようなお世辞が満載されているからである。しかし、この広報紙には、そんな先入観は不似合であった。年寄りの「思い込み」もここまで来ると哀れに思われるかもしれない。さらりとした表現にすっきりと謝意を受け止めることができたからである。
傍で遊んでいた3歳の孫に、老妻が「この人、知ってる?」と広報紙を見せると、ニコッとして「知ってるよ。お祖父ちゃんだよ」とさらりとした言葉返しである。そして、「お祖父ちゃん、楽しかったの?」と聞き返され、内視鏡でも透されているのかと孫の顔を見直してしまった。確かに楽しい時間であった。
講演会?最近は、特に子育てというジャンルでの出講では形式も内容も正真正銘の『放談』になってしまっている。「子育て」なるものを、講演や講義を聴いて考える時代になってしまっていること自体に違和感を感じているからである。子育ては失敗だらけ!3人の父親としての懺悔にも似た猛省から誕生した角田語録(と、ある雑誌記者に表現された)である。人間は皆、失敗作だ!この放言(=暴言)は自らを慰めるためだけに豪語してしまった捨て台詞でもあるのに、いつの間にか「角田ワールド」として括られてしまって赤面の思いである。決してふざけ半分でモノを言っているのではないことぐらいは読者の皆さんにはご理解いただいているとは思うものの、一言添えたくなるのは小心者の証か。
真剣に「育てる」ことの本質を追究するにつけ「育つ」ための諸条件を考えてしまう。皮肉にも、ここ数本の講演依頼に共通する言葉が「育成する」と来ているではないか。「育てる」意識の有無と、責任感の軽重を分析しながら資料の準備に入らなければなるまい。放談をこのように受け止めていただいた小学校のPTA関係者に心から感謝しなければならない。また、お声をおかけください、次は、ちょっと放談、しっかり講演・・・の姿勢でお伺いします(笑)。
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