2011/06/16

放談も「記事になると」・・・立派に見える?

 ~「不思議」のからくり~
 届いた封筒を開けると、忘れかけていた時空が戻ってきた。
 小学校のPTA主催の「子育て放談会」(ネーミングは当方の独断)に出席した折の記事が送られてきた。性分からしても、こんな事後証明書は見たくないし読み返したくもない。何より照れ臭いのである。多くは歯の浮くようなお世辞が満載されているからである。しかし、この広報紙には、そんな先入観は不似合であった。年寄りの「思い込み」もここまで来ると哀れに思われるかもしれない。さらりとした表現にすっきりと謝意を受け止めることができたからである。
 傍で遊んでいた3歳の孫に、老妻が「この人、知ってる?」と広報紙を見せると、ニコッとして「知ってるよ。お祖父ちゃんだよ」とさらりとした言葉返しである。そして、「お祖父ちゃん、楽しかったの?」と聞き返され、内視鏡でも透されているのかと孫の顔を見直してしまった。確かに楽しい時間であった。
 講演会?最近は、特に子育てというジャンルでの出講では形式も内容も正真正銘の『放談』になってしまっている。「子育て」なるものを、講演や講義を聴いて考える時代になってしまっていること自体に違和感を感じているからである。子育ては失敗だらけ!3人の父親としての懺悔にも似た猛省から誕生した角田語録(と、ある雑誌記者に表現された)である。人間は皆、失敗作だ!この放言(=暴言)は自らを慰めるためだけに豪語してしまった捨て台詞でもあるのに、いつの間にか「角田ワールド」として括られてしまって赤面の思いである。決してふざけ半分でモノを言っているのではないことぐらいは読者の皆さんにはご理解いただいているとは思うものの、一言添えたくなるのは小心者の証か。
 真剣に「育てる」ことの本質を追究するにつけ「育つ」ための諸条件を考えてしまう。皮肉にも、ここ数本の講演依頼に共通する言葉が「育成する」と来ているではないか。「育てる」意識の有無と、責任感の軽重を分析しながら資料の準備に入らなければなるまい。放談をこのように受け止めていただいた小学校のPTA関係者に心から感謝しなければならない。また、お声をおかけください、次は、ちょっと放談、しっかり講演・・・の姿勢でお伺いします(笑)。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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