~「経済効果」という錦の御旗~
クリスチャンでもないのにクリスマスプレゼントに胸を時めかせたり、起源も知らずにバレンタインデーのチョコレート商戦に引っ掻き回される集団があったり、「★★の日」を制定しては消費意欲を掻き立てたりしている国は他に存在するのだろうか。
クリスチャンでもないのにクリスマスプレゼントに胸を時めかせたり、起源も知らずにバレンタインデーのチョコレート商戦に引っ掻き回される集団があったり、「★★の日」を制定しては消費意欲を掻き立てたりしている国は他に存在するのだろうか。
在宅していない父の日は、数時間の電車に乗る旅人は昨日も変わりはなかった。
何気なく目が行ってしまうのは「同じデザインの包装紙」で包まれた贈答品らしいパッケージを持っている乗客の手元であった。PAPAという文字が妙に眩しく目に飛び込んできたからである。今回の旅は妻も同伴だった。偶然とは言え夫婦とは面白いことに気が付いた。それは同じモノに視線が一致していたのである。紛れもなく「父の日」のプレゼントを持ち歩いている人物の持ち物であったからだ。
長女が小学校の低学年の頃だったと記憶している。
この父親は「誕生会」と称するお友達の家への御呼ばれのことで憤慨したことがある。誰を招いて誰は呼ばない、という人選がまるで自民党に入るか民主党に入るか、そのための駆け引きでもするかのように幼い子供心を傷つけるような母親の幼児性に気づいたからである。子供は「御呼ばれ」に埃すら感じる幼心の頃である。招かれれば「プレゼント」を用意しなければならないらしい。そんな折だった。父親として「誕生日の重要性」を3人の子供たちに説いた。最も大事なことは「誕生した」時の嘘偽りのない現状報告である。それも、お父さん・お母さんがそれぞれの立場でその場面を再現に近い「お話」をしてあげることが最高のプレゼントである。年にたった1回でも、耳にタコができる程聞かされるだろう。そして、それぞれの誕生日が「世界に一つしかないストーリー」であることを至福に感じることが重要なのに、モノとカネで偽装して幸せを粉飾するとは言語道断。そして細やかなテーブルには母親の手作りの料理が並び、父親は勤務の帰りに小さなケーキでも買って食卓に乗せれば十分である。これすらできない家庭だってあるはずだ。我が家の質素な家計でできることはそれが精一杯だった。
★★の日。新聞折り込みの広告が束になって届く。すっかり贅沢に慣れきった幼児を育ててしまったらこの国はどうなるの?消費を煽ることが経済効果だとすれば、それで国家の繁栄につながるとすればその繁栄の中身は空洞でしかない。つまり、少々の軋轢ですぐに潰れてしまう見かけ倒しの「繁栄」でしかないということである。
5月31日の当ブログを読み返した。
本格的な出講旅行が始まる6月を前にして、常用したリュックの紐が切れかかっていたので大型モールのカバン店まで出向いて新品を購入した。「父の日」はすでにその時点で茅ヶ崎~横浜の講演旅行のスケジュールがカレンダーに入っていたので、事前に買い物をしたのだそうだ。電車で老夫妻の視線の一致した先は、「父の日の贈り物」だった。夫が背負っているリュックが、実は「父の日」に手渡す品物だったようだ。もう2週間前から「父の日」の贈り物は実用化され活用している。感謝。
何かにつけて「モノで釣る」風潮は、どうしても解せない。
疲れて帰った老夫婦の離れの家には、電車の中で視線が合ったパッケージに包まれた箱がテーブルに置いてあるではないか!!中身は大好物の「焼酎」であった。思わず笑顔がこぼれそうな老夫の顔を見つめる老妻があった。偉そうなことを言っても所詮、「モノで釣られて」いるんじゃありませんか?と言われそうでありました、はい!
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