2011/06/20

昨日は「父の日」だったんだ!?

 ~「経済効果」という錦の御旗~
 クリスチャンでもないのにクリスマスプレゼントに胸を時めかせたり、起源も知らずにバレンタインデーのチョコレート商戦に引っ掻き回される集団があったり、「★★の日」を制定しては消費意欲を掻き立てたりしている国は他に存在するのだろうか。

 在宅していない父の日は、数時間の電車に乗る旅人は昨日も変わりはなかった。

 何気なく目が行ってしまうのは「同じデザインの包装紙」で包まれた贈答品らしいパッケージを持っている乗客の手元であった。PAPAという文字が妙に眩しく目に飛び込んできたからである。今回の旅は妻も同伴だった。偶然とは言え夫婦とは面白いことに気が付いた。それは同じモノに視線が一致していたのである。紛れもなく「父の日」のプレゼントを持ち歩いている人物の持ち物であったからだ。

 長女が小学校の低学年の頃だったと記憶している。

 この父親は「誕生会」と称するお友達の家への御呼ばれのことで憤慨したことがある。誰を招いて誰は呼ばない、という人選がまるで自民党に入るか民主党に入るか、そのための駆け引きでもするかのように幼い子供心を傷つけるような母親の幼児性に気づいたからである。子供は「御呼ばれ」に埃すら感じる幼心の頃である。招かれれば「プレゼント」を用意しなければならないらしい。そんな折だった。父親として「誕生日の重要性」を3人の子供たちに説いた。最も大事なことは「誕生した」時の嘘偽りのない現状報告である。それも、お父さん・お母さんがそれぞれの立場でその場面を再現に近い「お話」をしてあげることが最高のプレゼントである。年にたった1回でも、耳にタコができる程聞かされるだろう。そして、それぞれの誕生日が「世界に一つしかないストーリー」であることを至福に感じることが重要なのに、モノとカネで偽装して幸せを粉飾するとは言語道断。そして細やかなテーブルには母親の手作りの料理が並び、父親は勤務の帰りに小さなケーキでも買って食卓に乗せれば十分である。これすらできない家庭だってあるはずだ。我が家の質素な家計でできることはそれが精一杯だった。

 ★★の日。新聞折り込みの広告が束になって届く。すっかり贅沢に慣れきった幼児を育ててしまったらこの国はどうなるの?消費を煽ることが経済効果だとすれば、それで国家の繁栄につながるとすればその繁栄の中身は空洞でしかない。つまり、少々の軋轢ですぐに潰れてしまう見かけ倒しの「繁栄」でしかないということである。

 5月31日の当ブログを読み返した。

 本格的な出講旅行が始まる6月を前にして、常用したリュックの紐が切れかかっていたので大型モールのカバン店まで出向いて新品を購入した。「父の日」はすでにその時点で茅ヶ崎~横浜の講演旅行のスケジュールがカレンダーに入っていたので、事前に買い物をしたのだそうだ。電車で老夫妻の視線の一致した先は、「父の日の贈り物」だった。夫が背負っているリュックが、実は「父の日」に手渡す品物だったようだ。もう2週間前から「父の日」の贈り物は実用化され活用している。感謝。

 何かにつけて「モノで釣る」風潮は、どうしても解せない。


 疲れて帰った老夫婦の離れの家には、電車の中で視線が合ったパッケージに包まれた箱がテーブルに置いてあるではないか!!中身は大好物の「焼酎」であった。思わず笑顔がこぼれそうな老夫の顔を見つめる老妻があった。偉そうなことを言っても所詮、「モノで釣られて」いるんじゃありませんか?と言われそうでありました、はい!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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