2011/06/09

月刊誌に学ぶ

~一人の子供を粗末にする時、その教育は光を失う~
 このブログで最近、「月刊誌」を話題にすることが多くなっている、と読者の方々からメールが届く。「そうかな?」と自問する。そう言えば、講座や講演会場にも『旅の友』(=月刊誌を勝手にネーミングしているだけ)を持ち込んで、提供する話題のつなぎに使っていることに気が付いた。この気づきが自問に対する自答である。現在、連続講座を担当している会場に集う聴講生の一人から、「先生、私も◎◎という雑誌を以前読んでいました」と声を掛けられ驚いたことも思い出した。「そうだよ、確かに月刊誌の記事を話材にしている」ことに気づいて、全国の愛読者からのご指摘にも妙に納得した。
 ところで、今日の紹介も月刊誌(「致知」7月号)の記事『致知随想』からである(写真版)。
 注目をしたのはタイトルの表面的な「・・・学力日本一の町」というものではない。投稿者(氏)の哲学(=朱書きで上掲)である。全国の教育現場を巡りながら、「ふと、思う」ことがある。教育行政のトップには教員経験者が選出されている場合が殆どである。そのこと自体には依存など全くない。どんなポジションも経歴や実績ではなく「その人となり」だと確信しているからである。学力日本一の町には教員経験者のトップではない人材が配置されていることを真摯に受け止めた。人選の経緯や深意はわからないが、活字を追いながら唸ってしまった。教育は教育に精通している人だけの聖域だと考えるのは非常に危険であると痛感したからである。他業種で半生を賭けて生きてきた人材は教育界でも威光は放てるのである。
 逆に望まれる教員経験者はいるのだろうか?そんな投げかけをしてみてハッとする。そんな力が自らには存在しないからである。「学校の常識は社会の・・・」とは、まさに的を得た表現なのだろう。せめて、学校教育に携わっている貴重な存在である教員集団が、社会の常識を受け入れつつわが身を磨くことの重要性に気づいてくれたら、この複雑な社会での学校教育も重鎮的存在に生まれ変わることだろう。現状の教育界を攻撃しているのではない。自己反省を基にした自らは成し得なかった難題の解決に期待しているという真意であることをお分かりいただきたい。
 「明日の教師」を目指す集団の指導をしながら、こんな思いも彼らに伝えたくなっている朝である。
 




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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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