~「明日の筋肉痛が心配だ」・・~
そう呟きながら夕食のお声がかりで庭先から部屋に入って来た。
その声に老妻が反応した。「明日は大丈夫ですよ」と自信たっぷりの答えが聞こえた。「そうかなぁ」と反論すると苦笑いをしながら更に二の手の回答は論理的であった。若い人ほど筋肉痛の反応は速いんですよ、と。と言うことは明日ではなく、数日後に筋肉痛の症状がお出ましになることを心して素直に認知することにしましょう。
今年小学校に入学した次男孫が3時ごろ帰宅した。
今日は4年生も一斉下校らしい。帰宅したのはほぼ同一時刻であったが、すでに遊びの約束をして帰って来たらしい兄ちゃんは、祖母ちゃんが用意したおやつを頬張りながら出て行った。残された次男坊がつまらなさそうにしているらしく老妻から遊んであげたら、との助言があった。
野球ごっこができる広さのある庭なので、日曜日など父親と孫息子たちがキャッチボールをして遊んでいる。昔取った杵柄?父親が小学生のころまでは、時間があれば良くキャッチボールの相手をしたものだった。王政復古?ビニール製のバットと柔らかいボールを道具に日差しの強い午後の時間を珍しく孫守りとして戯れた。「お祖父ちゃん、上手だね」と、中々お世辞も上手だ。乗せられながら興じるうちに坐骨神経痛らしい症状を感じとり5時には動きも止まった。
丁度、どこかで遊んでいた長男孫も帰宅して来た。
祖父ちゃんはそろそろ夕食の時間である。さわやかな疲労感を背負って今日の臨時的任用のキャッチボールから解放された。何年ぶりのグローブの感触だろうか。鈍くなってしまった動きに加齢を感じつつも孫たちの成長が著しいことを確認した。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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