2012/06/30

早朝歩禅記(3)

=5時05分~6時(6500歩)=
 今日はお昼前から長男一家(長男と孫3人)と東京・神宮球場に野球観戦に行く予定になっている。昨夕、帰宅した長男夫婦から「蛍を見に行こう」と声を掛けられ筑波山の麓まで連れて行かれた(笑)。ネオンも街灯もない暗闇を経験したことのない4歳の孫は「怖いよう!」の連発だ。これも良い経験だと励ましながら時間を潰したが結局、「蛍様のお姿」を拝むことが出来ずに帰宅した。車中で2人の孫は熟睡である。さもありなん!9時半を過ぎていたのだから。
 いつものように4時に起床して、教員採用試験受験者が送信する「小論文」の添削をして返信を済ませたのが5時前である。5時過ぎに「早朝歩禅」に出かけた。今までの『田園コース』から『鶴沼コース』に変えた。出かけて間もなくいつもきれいな花壇のあるお庭を写真に収めた後は歩調のピッチを上げる。田圃の向こうから昇る太陽はもう、こんなに高く昇っていると2枚目の写真を撮る。少々曇りがちな空模様なので太陽の形も良く見えた。そして林の中で鶯たちの「朝の合唱」を聞きながら目的地の沼に到着した。
 今日は土曜日。沼には釣り人の数が、歩き人より遥かに多い。ブラックバスを釣るんだ、と答えが返ってきた。1周1.3キロのコースを歩きながら西を望むときれいな湖面が見えた。曇り空には筑波山もはっきり見えないが、ヒンヤリとした湖面を渡る風に癒される思いで歩き続けた。
 妻も頑張って歩けるようになったのが心強い。
 帰宅すると6時の時報がラジオから聞こえてくる。パンとコーヒーで朝食が済むと、ラジオ体操である。これで早朝の『我が日課』は無事に完了。東京への出発指示が母屋から届くまでのんびりだ。朝の空気はいつものことながら身体の深部まで爽やかにしてくれるのが至福である。

2012/06/29

旅日記(高知編)

 ~3時間で高知往復~
 やっぱり空路は速い(笑)。
 往路の機内では依頼原稿の下書きで機内アナウンスから着陸態勢が知らされるまで集中したので予定の用務はほぼ完了した。買い込んだ週刊誌(後日のブログで使用予定)を開く時間も無かった。
 「到着地は小雨・・」との案内で窓の下を、打ち付ける雨筋に遮られつつも懐かしく景色に見入った。脳裏を掠めたのは数年前のこの上空を旋回しながら「胴体着陸」に成功したパイロットの高等技術が注目された光景である。
 手荷物を預けていないのでそのまま路線バスへと乗り込んで高知駅を目指す。
 JR高知駅前にある宿泊予定のホテルであるが、流石に傘をバッグから取り出した。チェックインタイムまでまだ、時間があるので荷物だけを預けるためにフロントに立った。スタッフから部屋の準備が出来ている、と伝えられたので荷物を置いてロビーでお迎えの教頭先生の車を待つことにした。ロビーの前に目を向けると3人の立派な土佐武士が迎えてくれた。(写真)
 本務が始まった。提案授業は4年生の「道徳の授業」である。指導者の人間性が学ぶ子どもたちへ与える影響力はこんなに表出するモノなのか。子どもたちの表情が人懐っこく、そして発する高知弁による交わす言葉が温かい。
 4年生と言うことは、3年間の「教育を受けている」子どもたちの集団である。教育は単年で結果が出るモノではない。「石の上にも3年」とは上手く表現した言葉である。目の前の子ども達の集団力に、その意味の深さを知らされた。愛情のある教員の居る教室はそれだけで安堵する。飾ることが苦手と思える人柄の指導者の授業展開に、心を預けている子どもたちの視線風景が心地よかった。
 授業後の「事後研究会」(=この学校での表現)も、何回か出席しているのでこちらも肩に力が入ることは無い。アドバイザーとしての椅子に座る。発言者の一言一句を逃すわけにはいかない。傷を舐めあい歯が浮くような言葉で終わるこの類の研究会が多い。そんな時間との遭遇にはとウンザリする。
 今回の収穫は、司会者の進行技術だった。授業と同じで、司会者も丁寧に発言を復誦することが多い。今回の「全く復誦しない」司会者のスキルに完璧に脱帽であった。時として数秒の沈黙があったが、この時間に堪らなく痺れた。
 指導助言を終えて会は閉じられた。即刻、ホテルに送って貰った気遣いに感謝した。30分間の『腰湯』(=我が健康法の一つ)で、旅の疲れも学校訪問の疲れも癒された。ホテル内にあるレストランでの懇親会設定にも感激だったが、小生を高知市に呼び込んだ別の小学校に勤務する教員も懇親会に飛び入り参加が許される、この学校の包容力に再び感激しつつ旧交を温めることも出来た。
 訪問二日目。校長先生の熱心な尋問に丁寧に応えながら責めは果たせたのかな?「渡り鳥・授業観察」も、手渡されたメモ用紙(校長先生のアイディア)に、殴り書きをしながら任を全うした。全ての授業にコメントを書き込んだ用紙をお返しして学校を離れた。教頭先生に高知駅まで送ってもらい帰路に着いた。
 通称「晴れ男」は、帰路の好天が証明してくれた(笑)。羽田空港に着いて、出版社との連絡を取って東京駅で待ち合わせをした。往路の機内で書いた下書きの章立てについての意見交換をして上野駅に直行した。いつもと違う常磐線の発着構内に目がテンになった。常磐線線路の陥没が午前中に発見され、やっと動き始めたらいい様子が掴めた。ともあれ、入線している特急電車に飛び乗って現状を知った。3両しかない特急電車の自由席は立錐に余地も無い。「200パーセントの通勤電車」並みであった。土浦駅までの停車駅は一つだけである。と言うことは座れる可能性はゼロパーセントである。
 通過するどの駅のホームも動き出した電車を待つ人でいつもの風景とは全く異なる。幸運の幸運は、土浦駅で下車した後の運行であった。土浦駅始発の水戸駅行きの臨時電車の案内だった。待ち時間も殆ど無く、下車駅まで辿り着いた。明るい時刻の帰宅は疲労度も半減されるようだ。

2012/06/27

旅日記(序)

~今日は「高知市」へ~
 遠路への陸路の旅程に加齢を感じるようになっちゃいました(笑)。
 以前は高知まで行き着くのに、新幹線で岡山まで行って土讃線に乗り換えて高知まで行ったのです。大好きな土讃線の車窓にうきうき・わくわくしながらの旅を満喫したモノでした。大歩危・小歩危の絶景(写真・右)と遭遇するだけで胸のときめきがあり、仕事欲が旺盛になったことは事実です。
 先日、広島市での会場で関係者と話をしていると、「疲れるからそろそろ広島遠征も終わりにしようかな」との話題に辿り着いてしまったのです。「角田先生、広島にも空港があるんですよ」と返されてしまいました。それに返す言葉もなく、次回(7月5~7日)の広島行きも空路になってしまいました(笑)。
 翻って考えれば、「未だ、必要とされている」と言う充足感に至りました。
 待っていてくれる人がいる。必要として指導を期待してくれる集団がある。と考えを膨らませている内に、「疲れるから・・」という理屈は完敗でした。敗者は勝者の要求に受けて立たねばなりますまい。これを敗者復活戦と言うのかな?(笑)
 今日もまた、来訪を待っていて下さる人たちとの再会が「至福の時間」になることでしょう。有難いことです。行ってまいります!!

2012/06/26

早朝歩禅記(2)

=5時10分~6時(6700歩)=
 昨日は小雨の朝だったので断念した。そんな朝は「ラジオ体操」に全力投球である(笑)。先日の当ブログに記載したように「たかがラジオ体操」ですが、この齢には真剣に手足を伸ばして取り組めば終わった瞬間「ふ~っ」と息をつく程である。どうぞお試しいただきたい(加齢を感じ始めた方に限定)。
 今日は周囲1.3キロ(案内表示板)の『鶴沼』のウォーキングコースを歩くことにして、妻も同伴できる状況になったので一緒に家を出る。気温の低さを体感しつつ歩き出した。こんな陽気には首にタオルは欠かせない。このタオル効果も驚く。
 この沼は孫たちが通う小学校が南に隣接している。彼らは毎日通っている距離でもある。早朝歩禅は、通学路を歩くことが目的では無い。沼のウォーキングコースを歩くことである。初めてのトライであるので期待も大きい。期待度は「多くのウォーカー」との出会いだった。
 期待は裏切られるモノ。出会ったのは3人だけだった。
 時間が遅かったのだろうか?自問しながらも拍子抜けして帰路に着いた。慣れてきたらこのコースを2~3周出来ると良いだろうなぁ、と思いつつ忘れ物に気が付いた。デジカメである。皮肉にも早朝に湖面から上がる湯気のような水蒸気の白い色がきれいに見えるではないか!写真は次回にご期待願いたい。
 帰宅して朝食を済ませると恒例のラジオ体操。そして、この歩禅記を認める。7時15分には孫たちが登校する。それを見送ると爺と婆の「朝の日課」は完了である。
 どちら様も、「行ってらっしゃいませ」と言わせてもらいましょう。

2012/06/25

賽(サイ)は投げられた!

 ~要請業務に一区切り~
 3年目を迎えた業務である。
 それは教員採用試験を受験する人たちを対象にして開講している講座(民間企業)の講師業である。昨日で最終回だった。契約上では、もう1回だけ7月末に出講するのであるが、それは一次試験合格者だけが対象となるので昨日は「総まとめ」の講義となった。単独担当講義回数は5回だけである。他領域への支援のために出向く回数も契約上成立しているが、やっぱり担当業務に対しての責務は重い。ここが公立学校出身者には厳しい程の社会的評価を受けることになる。公務員と一般民間会社との格差を痛感する時期も秋には必ずやって来る。
 賽は投げられた!
 現象は学校現場と変わらない。「今日で終わる」となると心情的な動揺があるのだろう。90分間の講義も、最終実習も真剣そのものであった。質問も出る。回答(解答)を終えても不安そうな表情は消えない。わかる気もするが、もう『剣ヶ峰』に立っている意識が優先されるべきであろう。
 「ネット添削」(=造語)を打ち出した小生のボランティア活動実務は大繁盛である。教員採用試験科目の中の「小論文」が担当なので、この手法は欠かせない。パソコンソフトの機能(=校閲)の援護もあり、楽しみながら受講生の頑張りを支えて来ることが出来た。
 昨夜はスタッフと横浜で呑んで帰宅したので今朝の寝覚めは遅かった。起床するとパソコンに向かうのはいつもと同じだったが、「ネット添削」論文が9通も届いていたのには仰天した。まさに、賽は投げられたのである。受講生諸氏の最後の頑張りを支えるべく。本番までの日々をボランティア精神で寄り添うことにしよう。

2012/06/24

『自然の恵』に感激

 ~キュウリに齧りつく孫の横顔~
 どうやら誤解をしていたようだ。今の時代の子どもはキュウリを丸齧りすることは出来ないようだ、と。
 リビングの窓を開けると、庭先とは名ばかりの「猫の額」ほどのスペースがある。すぐに庭に出ることが出来る。そこにキュウリとインゲンと茄子とピーマンの苗を買って来て植えてみた。収穫への期待度はゼロ。
 このブログの画面でも紹介したが、信じられないほどに成長する苗木があることに気づかされる梅雨時期である。キュウリなどもう背丈ほどに伸びている。大きな葉っぱに隠れて見えなかったがこんなに大きくなっていた。母の日に貰った紫陽花も鉢植えから地植えにしたが、雨に強く逞しい新芽を出して、老妻は来年が楽しみの様である。昨年長女から届いた紫陽花も確かな生命力を発揮しているので種類の違う紫陽花の「花の競演」は小生も楽しみになって来た。
 キュウリを捥ぎながら、孫が「痛い」と叫ぶ。キュウリのトゲの様だ。祖母ちゃんが「トゲがあるのは新鮮なんだって。きっと美味しいと思うよ」と説明すると、「食べたい」と絶叫する。十分に水洗いをしてもらう時間も待ちきれないようにしてキュウリに齧り付く孫の姿を見て、「なぁ~んだ、今の子も食べれるんだ」と妙に感心してしまった。そこには勝手な思い込みと言うバリアがあったようだ。
 「旨い!」を連発させながら食べる姿は大昔の(笑)自分を見ているようだった。おやつなんて何もなかった時代は、庭先のトマトやキュウリを捥いで来て(洗わずにシャツの裾で拭いて)縁側に座って齧りついたモノだった。腹ごなしを終えてから友人と遊びに出て行った。セピア色の思い出である。
 自然環境と触れ合う日常生活がない孫世代だ。無から有は生まれないのだから、キュウリが生っている状況下に無ければ食べるという行為の食欲は無い。恥ずかしながら、小生は生家が農業だったことにコンプレックスすら感じてしまった日々がある。キュウリやトマトを食べるよりパンを買って来て食べたい願望に脳味噌は支配されていた。農業を継ぎたくないばかりに(笑)、懸命に勉学に勤しんだ(?)のである幼かりし日々が自責の念までは無いが自分史には明らかに刻まれている。
 小さなザルに載せてみる(写真)と自然の恵みの威力に感動である。転居先のここでもご近所には農家も多くあり、市場に出した残り物と言いながら届けていただく老女もおられる。彼女が栽培されるキュウリは既に「離れ」の我が家のテーブルにも数回載っている。新鮮な美味に舌鼓を打ちながら完食している。
 農家で生産された立派なキュウリより、ど素人の祖父ちゃんと祖母ちゃんが丹精した(笑)ミニの畑に生ったキュウリが旨いらしいのは何よりのご褒美だった。「現代の子ども」でも齧り付くことが出来ることも学習した。
 「お天道様に顔向けできない」とか「お天道様に感謝」などの祖母の言葉が、こんな小さな収穫(=自然の恵み)にも蘇って来る。嬉しい限りで、正真正銘の「至福の時間」ではないか。
 曲がったり、成長し切れなかったり、大きく立派に成長したキュウリを見詰めながら、「人間も同じだなぁ~」、と感じ入るのは職業病の症状かな?(笑)

2012/06/23

たかが「ラジオ体操」されど・・・

~貴重な早朝の「10分間」~
 この時間になると小学校の運動会の前の練習風景が必ず浮かんでくる。
 朝礼台から指導される「怖い体育(系)の先生」からの叱咤の声が運動場を木霊して幼い少年の耳(鼓膜)を振わせて緊張感を募らせた。「やりなお~し!」が何回続いただろうか。児童が倒れて校舎の日陰に運ばれる光景が続くと、「気合が入ってないから倒れるんだ」と檄が飛んだ。定例の朝会でも倒れる友人に「根性なし」とレッテルが貼られる時代だった。是非論を提供しているのではないが、価値観や教育観は確かに時代と共に変容していることは確かである。
 面白くない体操。有益性のない体操。強制的にやらされる体操。
 こんなにも「怨み辛み」ばかりを述べてしまうラジオ体操は。僅かな10分間の体操でも、ある日々から貴重な時間に豹変する(笑)のだから人生とは妙味ではないか。「たかがラジオ体操ではないか」から、「されど(貴重な)ラジオ体操」なのである。これも年代と共に変容しているのも確かである。
 雨で歩禅が出来ない日が続くと、この「10分間」の重要性を痛感する。
 末っ子の孫には「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの踊り」の時間と評価されてしまった(笑)が、評価は別としても「全身を動かす」貴重な10分間であることは否定できない。
 読者の中には、「えっ、ラジオ体操?」と訝しがる方も多いだろう。いつの日かこの爺の心境に達しましたら、(小生の生きていることが確認できましたら)手紙なりメールにてお知らせくださいませ(笑)。

2012/06/22

丹精を尽くす

 ~「育つ」ための見えない熱量~
 辞書で「丹精」を調べてみる。「まごころを込めて物事をすること」の第一義に加えて「丹精して育てた盆栽」という例示があった。盆栽づくりに挑んだことのない当方には例示は少々のピンボケではあるが、ニュアンスは通じない訳ではない。
 庭先に咲いたダリアを切って、姉は新聞紙に包んで登校していた。母は仏壇に供えることもあった。沢山のダリアが咲き乱れていた生家の庭先を思い出しても、球根植物であることは知識としてしか知らなかった。祖母の丹精でそだてられた草花で四季折々の変化を知らされたことを、この年齢になると感謝の心で思い出す。
 転居して初めて訪れた県立フラワーパークは、ダリア展だった。見たことも無い品種のダリアを見て目がテンになってしまった。目を見張るような他種のダリアに目移りしながらも、少年時代の庭先に咲いていたのと同種(に近い)のダリアに目が留まった。そして有料の球根を買い求めて帰宅した。ネットで栽培手法を学びながら妻と一緒に3個の球根を植え付けてみた。二人とも自信など全くない。
 芽が出ただけでも胸がドキドキした。
 大きくなって葉っぱが付いて倒れそうになると支柱を差した。妻が「過保護かしら?」と囁いたが、「咲いてくれれば良いんだよ」と切り捨てながら成長だけを祈るバカ栽培主になっていた(笑)。蕾を数個発見した朝は有頂天になった。そして台風が来て去った。ダリアの向こうにある栗の大木が折れて倒れている朝、恐る恐る庭先のダリアを見詰めた。「咲いたぞ!」と大声を上げた夫の方に近づきながら妻は、「きれいね」と嬉しそうだった。
 一輪の花が咲きました。
 丹精込めて栽培したのだろうか、と自問する。心配はしたが丹精を込めたとは思えない。最初に咲いた大輪の花を切って妻は、花が大好きだった亡母の仏前に供えた。仏壇に額ずく妻は何を報告したのだろうか。
 育つための熱量(エネルギー)を考える。
 熱量が十分に発揮できるための基本条件は土壌と栄養素なのだろうか?この地に転居して初めての試みた「植栽」である。モノを言わない植物が適量のエネルギーを得るためにはその環境づくりが必要だと感じ入ることが多くなった。
 「人を育てる」にも、それなりの「環境づくり」が必要であることを実感する。肥料も水分も植物の種類によって異なるらしいが、人の育ちにもその人なりの支援が必要であることと同じである。
 県外出講で留守をして久しぶりに見る野菜や花の成長に仰天するばかりの昨今である。花屋さんで切り花を買わずに庭先で「丹精込めて咲かせた」花を仏壇に供えることが実現した朝であった。

2012/06/21

6月台風の爪痕

 ~「6月だから」の被害~
 「離れ」に住む老夫婦にとって朝の美味しい空気を戴ける喜びの源は隣接する栗畑にある。
 作業をされる親子(高齢者の父親と孫もいるご長男)のきめ細かな配慮で見事な栗林が広がっている。東から朝日が昇ってくる時間帯も繁った栗の木の葉で夏の日差しを遮ってくれるので暑さも感じない恩恵も受けている。
 昨日の朝。
 雨戸を開けた瞬間、想定外の景色に唖然とした。写真でご覧のような風景が目に飛び込んできたからである。この状態から一日も経つときれいに片づけられて爪痕もわからない。はっきりしているのは栗畑の向こうにある隣家の庭さきを見ることが出来るように片付いていることである。
 離れのリビングから対話が出来る場所で作業をされる姿に向かって声を掛ける。「大変ですね。こんなことって多いんですか?」と。「6月で良かったですよ」と思いがけない答えが戻って来た。毬栗になってからだと、重さも加わるので枝が折れやすくなるのだとの説明でわかった。秋の台風襲来には命が縮む思いだとも語られた。だから、「6月で良かったですね」と、同意の考えを言葉に発することはできなかった。
 丹精して農作業に取り組まれる農家人のこの努力は、自然界の脅威との闘いだと言われた老父の言葉が重かった。こんなに必死に栗の栽培に取り組まれて収穫した栗に、「福島第一原発」の被害がないことを祈るばかりである。

2012/06/20

「台風一過」と水廻り


 ~田圃には早朝から多くの人影~
 早朝歩禅はいつもよりちょっと遅れの5時15分出発。田圃にはあちこちに人の姿が見える。
妻に「何かあったのかしら」と問いかけれられた夫は応える、「台風様がお茶飲みに立ち寄られたから後片付けのためじゃ」と(笑)。農家の三男坊にはそんな文化が伝承されている。大嵐の後は雨量も多いので田圃の土手が壊れて水田から水が流れ出したら稲の生育に支障がある。そこで、「水廻り」(=点検)は農家の重要な仕事であるらしい。幼心に残っている祖母の言葉を思い出して応えただけである。
 台風一過を台風一家と誤解したまま小学校6年生まで成長した。
 運動会の開会式で当時のPTA会長さんであった友人のお父さんが「たいふういっかの秋晴れの下・・」と挨拶された。「一家」と「秋晴れ」が繋がらないことに気が付いたのである。友人宅に遊びに行った時、聞いてみて深く学んだ。
 台風一過の朝は、農家の人の朝仕事は「田んぼの水の点検」から始まる。その光景を横目に見ながら、「良く降りましたね」「稲は大丈夫ですか」と声を掛けながら歩いて帰って来た。すれ違いざまの対話には日本に伝わる農耕文化の匂いがする。こんな小さな会話を基盤にしてコミュニケーションが成立することを軽視してはいけない。
 早朝歩禅を満喫しながら自然界の脅威を感じつつも人生の機微を熟考した。

読者の皆さんの地域では被害は無かったでしょうか?下の欄のコメントにてお知らせください。返信が出来るようになっています。右の欄に小生の『新生・公式ホームページ』のアドレスを登載しました。クリックしてみてください。

2012/06/19

『辛口尽言』(15日ブログ・続編)

~引き金は、やっぱり「子ども」~
 去る14日に愛知県豊橋市の小学校を訪問した。要請の内容が「授業後の指導助言」であるのは定番である。日替わりで全国を会場として「授業観察」をする目には、時として助言の言葉を選べない授業と遭遇する。それは「子どもへの愛情の無い」授業を観察した時である。
 『遭遇』とは、広辞苑では「思わぬ場面であうこと。不意にであうこと。「困難に遭遇する」が例示されている。
 全国の教室に入り込んで観察する小生の業務は、まさに「遭遇する」ことへの必然性の下で展開されるのである。授業者との遭遇もさることながら、その教室にいる「一人の子ども」ともその現象に入り込むことが意外と多い。
 この日の授業者は、始発点は小学校の教員でありながら、7年間の中学校教育界に武者修行に行って戻って来たという男性教員だった。教師の愛情の蚊帳の外に居るTくんと目が遭ってしまった。算数の問題を解きながら担任の先生の指示に懸命に答えようとしているTくんの姿勢に感動した。授業は指導案を追いながらどんどん展開する。Tくんの答えは途中で止まった。授業者のペース配分についていけなくなったのである。不意に出会ってしまったTくんと小生は勝手な世界を創ってしまった。
 授業が終わって挨拶が済んだ。教室を離れる小生はTくんに小さく手を振った。一回目は僅かに手を振ってくれたような気がした。二度目を振ったら振り返しくれた。三回目は、僅かな微笑みも添えてハッキリと手を振ってくれた。
 授業の指導講評は、小生の自然体(=辛口指導)での表現で始まった。それは、今回の授業者にはホンモノになれる教師としての資質を感じ取っていたからである。かなり、厳しい指導になったらしい(笑)。同席した同僚教員には授業者への同情心も多かったに違いない。そんな雰囲気を分かりつつも、この場で指摘しなければこの有能な教師には伸びるチャンスを失してしまうと思い込んだ講師としては「躊躇うことを忘れた」暴走ぶりとなったのかも知れない。
 その授業者から昨夕、メールが届いた。

120618受信
角田様     先日はありがとうございました。先生にズバッと言われたことが大変身にしみました。お話ししたとおり,4月より2か月半,なかなか子どもたちをとらえることができないなあと悩んできたことを,見透かされたように言われて目が覚める思いでした。子どもと共有する時間をもっととるように心がけ,その中からいいことを見つけて,もっともっと褒めていきたいと思い,新たな気持ちで頑張っています。話しは変わりますが,先生と時間を共有したTくん。彼に次の日に話しました。「知らないおじさんだったけど,なんだか楽しかった」と言っており,手を振ったこともうれしそうに話してくれました。10月にまたお会いできるのを楽しみにしています。そのときには,ゆっくりとお酒も飲みましょう。         

 読み終わって数日間の胸の閊えが消え去るのを自覚した。これだからこの稼業が止められない(笑)。退職して8年間、飽きもせずに全国の教室に足を運んでいるのが他人から見れば単なる「もの好き」と片づけられることになるかも知れないが、これも『一つの人生』であることだけは断言できる。「もう辞めようかな」と思う時に限ってこんな遭遇が待ち構えている。これも「不思議な一つの人生」と感じることも嘘ではない。
 指導を受けた先生たちの多くから「元気を貰えた」と謝意を表現されることが多い。
 何を隠そうか。元気がもらえるのはこういう反応を貰える稼業に没頭する小生自身なのであることは事実である(謝=感謝)。その恩返しは10月の再訪から始まることを忘れてはなるまい。

2012/06/18

早朝歩禅

 ~ちょっと遅れ気味の出発~
 原因は「猫の額」の写真撮影です。ちょっと忙しく飛び回っていて気遣いを忘れていた菜園(?)に茄子が出来ていました。ピーマンも大きくなっています。キュウリは孫たちが楽しみにするほど沢山実を付けてくれています。大好きな花として球根を買って植えたダリアの蕾(左・写真)も大きく成長してくれていました。
 父の日の記念に長男が「琉球朝顔」(右下・写真)の苗を買って来て昨日植え付けてくれたそうです。秋口まで花を楽しめる種類だそうで「緑のカーテン」に仲間入りさせるためにゴーヤの苗の間に植え付けたと、妻から報告を受けたので早朝歩禅を意識しつつもデジカメに収めたくて時間がかかってしまいました。
 ちょっと遅れ気味の出発した西の空には筑波山(上・写真)が今朝はくっきりと見えていました。朝露を避けるために農道は歩けません。「足の裏」の鍛錬にはアスファルト道路を歩くより良いのは分かっているのですが、今朝は諦めました。伴の妻も農道を歩きたいようでしたが早朝歩禅のコースには少々無理がありそうです。
 コースの傍にある林の中からは、上手に鳴けるようになった鶯の声が爽やかな朝の空気中に響き渡っていました。妻が「上手になるものね」と妙に感心しているのが不思議でしたが、ホントに1か月ぐらい前のズッコケるような鳴き方とは雲泥の差です。同一の鶯かどうかは不明ですから比較に妥当性はありません(笑)。
 早朝歩禅から帰るとお茶を飲んで、ラジオ体操です。
 4歳の孫が「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんのダンス」と表現したのが、実はラジオ体操なんです。先日の小学校の運動会での発言だそうです。プログラム1番のメロディーが流れた瞬間のこの発言に周囲の観客が失笑したのだそうです。孫から見ると「踊り」にしか映っていないことがユーモラスです。10分間のダンスが終わればコーヒーと何がしかで朝食紛いの時間となります。今朝は特別メニューの朝食でした。昨日の父の日に嫁から貰った抹茶ケーキとやらが食卓に載り美味として頂きました。
 7時15分に小学生の2人の孫の登校を見送れば「早朝の日課」は大詰めです。1時間後に出勤する嫁と保育園に連行される(笑)末の孫を見送れば、午後3時半に2年生の孫が帰宅するまで、爺婆の自由裁量の時間が始まります。
 今日も今日なりに、用務があるモンです。

2012/06/17

今日は何の日?

~「日常的な意識」に勝る『日』は無い~
 加齢証明書は数多いが、時として形式的な行為受けるのが「うざったい」(=面倒くさい)気持ちになって、出来れば回避したくなることがある。是などその一つではないだろうか?そんな感情を表出すると家族に顰蹙を買う始末になる。「素直じゃないんだから・・」の類で指摘を受けてしまうことが最近富に多くなった。照れ臭さが無いわけでもないが、「今更、殊更に?」とへそ曲がり的な発想に至ってしまうのである。心中では「有難い」と思ってはいるのだが…(笑)。
 昨日、届いたらしい嫁いだ娘から『父の日』の贈り物を妻が持って来た。中身はポロシャツである。爺脳には、「もう、これを着て出かけるような所もないよ」と呟いてしまった。居ないと思っていた老妻からズバリと叱責された。「素直に有難う」と言えば良いじゃないの!と。ただ、素直に嬉しくなったのは別の紙袋に3枚入っていた「着古し」のポロシャツの方である。婿が「もう着ない」シャツを時々届けてくれる。今日も着ているシャツもその一つである。この日常的な意識が快い。素直に「ありがとう」が口を突いて出る。父の日だから「贈る」のではなく、日常的な「贈り物」の交換で親族の縁に感謝する行為が嬉しい。
 父の日の贈り物を拒んだり、礼を欠く態度を示すことなどは全くない。常識は弁えているつもりでいる。世帯を持った3人の子どもたちが父親として、母親として懸命に生きている姿を確認できる幸せはどんな高価な『贈り物』にも勝るのである。きっと今日は、それぞれの夕餉のテーブルで「お父さんありがとう」を可愛い孫たちが大声で発することだろう。そんな光景を想像するだけで「父の父」は嬉しいのである。
 『◎◎の日』の設定が「経済至上原理」に振り回される日本経済機構に危惧するのは小生だけではあるまい。せめて、通常的に「お父さん、ありがとう」精神を培う家庭教育を見直してもらいたいのである。「ありがとう」と言う言葉は自らの内面で醸成されて発するモノだと確信して憚らない。
 今日の父の日は、横浜に出講する日である。月末まで出講日程が詰まっている。高知や広島と遠隔地への出講も組まれている。「元気な父の日」をこれから何回迎えられるだろうか。子どもや孫たちに心配かけない元気な人生を続けることを心がけたい。それが「子ども孝行」になるだろう。「父の日」への心遣いをありがとう。

2012/06/16

一連の事件に,『幕』が下りた?

 ~現象は閉じても心の中に残ったモノは・・・~
 尋常の沙汰ではない。
 こんな日本語を思い出させる事件であった。こんな事件は思い返しただけでも心が痛んでしまう。被害に遭われた数えきれない犠牲者の中で、幾つかのお顔やシーンが浮かんで来る。哀しさで遣り切れなくなってしまう。宗教力とは怖い!
 昨日は民放のテレビは最後の逮捕劇の報道で埋め尽くされていた。見るとは無しに画面に視線が行ってしまう。おぞましい!!何度も口走りながら腸が煮え繰り返る思いである。20年間近くもこれだけの包囲網を掻い潜り逃亡し続けたエネルギーが勿体ない。個々に持っている有能性がエネルギーの掛け方でここまで違った出現状態になるとは??
 今日は、早朝からの出講なので詳細は論述できない。「教育をする」という業の成果の怖さも痛感している観点から、近日中に考えを述べてみたい。
 今日の出先は小生の第二の故郷・茅ヶ崎市である。
 『響の会』という教員の自主研修会を立ち上げた地である。奇しくも、逮捕された犯罪者が逃亡し始めた年に発足した会である。あれから17年間の歳月が流れていると思うと複雑な心境になってしまう。そんな思いを複雑に絡ませながら17年も付き合ってくれている「茅ヶ崎の友」に会いに行って来よう。
 小生の第一の故郷は、「誕生して18年間過ごした」九州の熊本県である。熊本県八代市は決して忘れられない「幼き日々を過ごした」大好きな地である。昨日の逃亡劇に『幕が下ろされた』宗教をこの世に開こうとした人物が誕生した地と全くの同郷なのである。同郷人の罪業に小生の心の痛みは治まりそうにもない朝である。外を打つ雨音は、犠牲者の方々の悔し「涙」の音かも知れない。事件の終幕は下ろされても被害者やご遺族、関係者の方々の心に付いた傷や痛みは簡単に消え去ることも無い。ホントに悔しい思いである。
 ご冥福を心から祈りつつ準備を始めることにしましょう。

2012/06/15

遅く起きた朝は?

~孫の登校を見送るのが精一杯~
 7時15分は小学生の孫たちが毎朝登校する時刻である。
 昨夜は日帰り強行軍の日程で愛知県豊橋市での用務だった。朝9時前の電車に乗って土浦駅で特急電車に乗り換え、上野駅構内を小走りで山手線のホームへ急いで東京駅まで移動する。東京駅から乗車するのは「豊橋駅停車」のひかり号である。時間限定の新幹線だけあって豊橋駅までの所要時間も短い。駅に着くと主催者のお迎えの車が駅頭にて待っていていただくので学校へ直行できる。豊橋駅から比較的遠隔地にあるので乗車時間も30分は掛かるが到着と同時に給食をいただいて業務開始であった。
 型通りの用務は、それ自体は苦痛ではない。苦痛な状態に陥るのは相手次第である。昨日は4回目の訪問であった。確実な前進の足跡を刻んでいる学校の主体的な取り組みが受け止められれば苦痛どころか快感に誘ってもらえる。毒舌?辛口批評?関係雑誌にも「歯に衣着せぬ」と評される張本人にとっては、十分に自意識はあるが、好き好んで発するモノではない。「人を見て法を説く」原理を忘れている訳ではない。その基準は?やっぱりトップリーダーだろうか。管理責任者の『腰の据わり』方次第だと断言できる。
 辛口だったかお座なりの講評だったか、は聴講した相手の感想に委ねることにしよう。朝から電車に乗って帰って来るまでの「車中の時間」が用務に携わった時間より長い場合は「疲労困憊」の状態になるのは当然である。しかし、それを帳消しにしてくれる代物がある。それは、聴講相手の視線である。真剣に聞き入りながらメモを取る聴衆と出会うと疲労感は吹っ飛んでいくのだ。回を重ねるごとにその視線の熱さを感じ取れる。これこそ講師冥利である。熱い視線が次回の訪問(10月)への期待をそそる。関係者の配意に感謝しつつ帰路に着く。
 通常のライフタイムスケジュールは9時就床4時起床が基盤となっている。大幅に時刻がずれ込んだ就床時刻からすれば、早朝起床は無理である。しかし、体内時計は今朝も4時には作動していた。妻の起床を確認しつつも瞼が開かなかった。目覚めさせてくれたミュージックは「ラジオ体操」開始のメロディだった。
 遅く起きた朝は脳味噌が動転している。急いで着替えたのは元気で登校して行く孫たちに「行ってらっしゃい」を発するためだけの行為にすぎない。何とか体を成したのでホッとしている。時には生活リズムの崩壊も良いかっ!!(得意の「開き直り」)
 また、明日も少々のリズム崩壊の日程にはなるが茅ヶ崎市への里帰りである。意識できる元気があることを喜ぶことにしよう。

2012/06/14

『常総の歴史』 第39号

 ~『水戸藩』の教育を覗いてみたい~
 江戸幕府を大政奉還した第15代将軍徳川慶喜は水戸・徳川の出身だとか・・。歴史に関しても浅学の小生の「聞きかじり」知識である。下記のような記事を読むと、江戸から明治へと国家体制を『方向転換』させる英断を下した当時のトップリーダーの生い立ちと成長までの「教育」のプロセスに興味が湧いてきた。

 尊敬する第2代藩主・光圀の教育方針を踏襲して子女は江戸の華美な風俗に馴染まぬように国許(水戸)で教育するという斉昭の教育方針に則り、天保9(1838)年4月末(生後7ヶ月)に江戸から水戸に移り、一橋徳川家を相続するまでの多くを同地で過ごす間、会沢正志斎らから学問・武術を教授されている。慶喜の英邁さは当時から注目されていたようで、斉昭も他家に養子には出さず、長男・慶篤の控えとして暫時手許に置いておこうと考えていた。

 地方紙に「常総の歴史」の紹介を発見したのが、1週間ばかり前の事だった。販売営業所に電話をして郵送してもらった。当方の興味関心とは内容にズレはあるが、「水戸藩の教育」機関として設立された弘道館という藩校のことが論述されている。楽しく読むことができた。江戸時代の教育に学ぶことは感じてはいたが、このような専門家の執筆による研究誌は初めての購読である。現地近くに転居したことを好機にして「古の水戸」を訪ねたくなっているのが偽らぬ現状である。
 今日は豊橋市に向かって間もなく出発する予定である、「旅の伴」としてこの研究誌を携えてじっくり読書を楽しみながら旅をすることにしよう。
 早朝歩禅(朝5時~)は今日も終えた。妻の元気復活に安堵してばかりおれない。夫も負けずに元気を出して豊橋市の小学校で立派に務めを果たして帰って来ることにしましょう。行ってまいります!!

2012/06/13

歩禅記(62)

 ~久しぶりの妻同伴の早朝歩禅~
 朝5時15分発~6時着 6000歩
 梅雨寒と言うらしい。久しぶりに同伴した妻の服装は冬服であるのが証明している。北関東の朝夕の冷え込みには慣れてきたつもりが、やっぱり当惑する。歩禅道ですれ違った数名とのご挨拶代りが「今朝も冷えますね」であった。
 タイサンボクの花が目に入った。
 見上げるほどの高さに咲く「大きな花弁の白い花」には思い出がある。18歳で上京した青年が、初めて地元の名士の庭に一歩足を入れた。目前の立派な館の目隠しになるような大木が立ちはだかった。見上げた大木には見たこともない大きな白い花が咲いていた。そこは、当地の初代町長さんだったと言われる方の館だった。そこの高校1年生の医学部受験生の家庭教師として雇われて訪れた緊張の一瞬だった。そんな緊張感も蘇らせてくれる「青春の思い出・花」なのだ。
 妻と歩きながら大きな屋敷にタイサンボクを見つけた。
 思わず足を止めてシャッターを押した。そして、歩きながら思い出の続きを妻に話した。我が家の3人の子どもたちは、誕生して以来ずっとその館(=医院)で診察をして貰ったから、妻も良く知っている。タイサンボクの大樹が玄関先に立っていたことも記憶していた。
 久しぶりの歩禅。
 しかも早朝歩禅は妻には厳しかったのでは?と横目で確認しながらの時間だったが完歩してくれてホッとした。帰宅してのお茶の美味しいこと。飲食が美味しく感じることが健康の証しであれば安堵である。
 どんよりとした梅雨空。寒いので孫たちが風邪ひかないかと心配する妻は、正真正銘のお祖母ちゃんだ(笑)。

2012/06/12

文明開化の日

~半日以上も屋根の上は喧騒~
 太陽光発電とやらの「未来文明利器」を取り付ける計画を知らされたのもいつだっただろうか。忘れてしまっていた離れの住民(=わが老夫婦)に、数日前に工事日程の通報があった。大工事らしく嫁は公休をとって自宅待機だそうだ。我が家にも近未来の文化が降りて来るようだ。
 9時ごろに車が5台もやって来た。
 そして、梅雨空を案じつつ工事が始まった。母屋は二階作りであるが、屋根が北側に着いている造りなので、平屋である「離れ」の屋根にパネルを装着する工事になったとの情報である。留守番のつもりで家の中に居る老夫婦の頭上をかなり激しい移動音と器械音が響き渡り、何度か聞き返す会話で午前中を過ごした。予告通りに電気が消えた。丁度昼食時である。母屋はオール電化のため、昼食の用意はガス装備の「離れ」のレンジが大活躍である。
 食事が済んでホッとしていると、電気が点いた。
 それでも、工事は継続中である。まだ、外観を覗いていないが、数年前から多くのソーラーパネルが載った屋根のある風景は見慣れている。「電気を作る」装置らしいが、作った電気で生活するという想定すらできない利器音痴である。事後の詳細は母屋の長男夫婦に全面一任であるので、今後の生活に何らかの変化が表出するのかが楽しみでもある。
 老夫婦にとっては文明開化に遭遇した気分である。今日は、我が家の「文化(大)革命の日」となるのだろうか。外出したくても工事用の車がガレージを封鎖しているので、工事完了まで、もう一息過ごすことにしますか!!

読者の皆さんのお家で太陽光発電装置をお付けになっておられましたら、情報を教えてください。

2012/06/11

「代休日」の我が家

~「子ども」は元気が魅力~
 一日順延の孫の運動会が昨日、無事に終えたようだ。
 父親が撮ったVTRを朝から鑑賞する羽目になった(笑)。昨年は秋に行われていた運動会だったので転居した初年度はお客様気分で楽しんだ。4月から半年間の「教育の跡」が理解できた。今日の画面で視る限り、入学して2か月も無い1年生の演技に「発表には時期尚早」の感が否めない。
 ふと、職業病が再発したことに気付いた。職業から離脱した「5人の孫の祖父ちゃん」の脳裏にはまだ病巣が存在していることに苦笑してしまう。肉眼で見る良さと画面で見る良さの違いもわかるので、昨日の様子に十分に堪能できた。
 孫の友人たちが大勢やって来る、との情報を言い置いて、園児を連れて嫁が出勤した。母屋には小学生の2人の孫が居る筈だが、恐ろしい程静かである。祖母ちゃんは、静かであればそれなりに心配らしい。「そんなに心配だったら行って様子を見れば良いじゃないか」と質すと、「だいじょうぶ」と、答えにならない応えをして台所に立ち始めた。代休日の孫の昼食の下準備らしい。また、「孫を連れて昼食は外で食べないかい?」と、追い打ちをかける。孫たちからのリクエストがあるらしく、「焼きそばにする予定があるから外食はしません」とぴしゃりと断たれてしまった。「お友達が来る前に宿題を終えるように」とでも母親に言われているのかも知れない。ホントに静かな母屋である。嵐の前の静けさ??
 中学校の野球部員を指導していた時分に、代休日に「早朝練習」指示したことがあった。30年も前のことだ。その時、同僚から「代休の意味が無い」と選手に同情が寄せられた。小生は「子どもは元気印」を発して一笑に付した。新陳代謝の旺盛な年齢には、「ひと眠り」でその機能は復活すると専門家から聞いたことがあったからである。「明日は早朝練習をする」ことの意識付けとそれに伴う自己健康管理の基礎訓練のために日程を設定した小生は、選手に「時間に遅れるなよ」とだけ伝えただけだった。そんな非常識(と、誤解された)な練習で育った選手たちも、後数年で50歳になる。参考までに練習開始時刻は7:00であった。運動会の翌日に代休を満喫しているような我が子の育て方などしているまいな。
 母屋の小学生たちもゴロゴロしながら過ごすようだったら雷(=ごろごろ)でも落とそうか(笑)。運動会の代休はお疲れ様の先生たちのモノなんですよ。
 一晩ゆっくり寝て元気復活しない老体には2日間の代休が必要になってしまったようだ。代休日に猛練習を課した若かりし日々が、懐かしく思える(孫の)代休日の朝である。

2012/06/10

時の記念日

 ~「時間に追われる」のがイヤで『せっかち』になりました(笑)~
 他人やきょうだいは小生の事を「せっかち」と言う。
 決して否定はしない。しかし、非難をされるモノでは無いと確信しているが、時として周囲には「せっかち」は嫌われる。常磐線を利用する生活者になって1年間が過ぎた。以前は東海道線が旅の始発点だった。列車ダイヤの密度は雲泥の差である。茅ヶ崎では「一本の電車に乗り遅れても」人生にはさほどの影響は無かった(笑)。しかし、今は違う。一本の電車が発ってしまったら30分間を待つことは常識である。そして、遅延と遭遇すると数多く追い越していく特急電車を各駅で待機しての発車となると、新幹線や飛行機の時刻に大きく連動してしまい到着地への予定時刻が大幅な遅れとなってしまう。となると、「せっかち」者は、1時間に2本しか走らない電車の1本先の電車に乗りたくなってしまう。家人は苦笑する。
 時間は待ってくれない。電車も飛行機も待ってくれない。
 待ってくれるのは??締め切りが「在って無い」のが、学校教育界の常識であった。校長時代を懐かしく思い出している。時間を守らない教員集団に何度大声を上げただろうか。決して怒鳴ったのではない。警鐘を鳴らしたという意味である。定刻に集合した参加者を待たせて始める主催者の間違った配慮を詰ったことも、今となれば懐かしい。会議も長い。終わる時刻を決めていない研究会の延長時間になると苛立った。
 時間に追われ、追いかけられ、追いつめられる人生は嫌いだ。
 そんな哲学を抱くようになったのはいつ頃からかは記憶していないが、だらしない集団心理の体たらくにウンザリすることが多かったからではないのか。
 時間を追いかける人生を送りたいモノである。原稿執筆依頼が突然に飛び込んでくる。締切日指定が1週間後のモノがメールで届くこともある。編集者の苦労を忍びつつ執筆する。そして、締切日前には送信を完了する。依頼した執筆者に何かが起きたのだろう。こんな生活信条が「せっかち者」を育成してくれたようだ。
 今日は時の記念日。
 子ども時代を思い出しながら「時は金なり」と書かれた黒板の文字が浮かんできた。良い教育を受けた時代だった。しかし、そんな「とき」ももう戻っては来ない。神様が全てのモノに平等にお与えになったのが「1日は24時間」だと、説かれた小学校時代の恩師の声が天上から聞こえて来そうな朝である。使い方次第で24時間は生きることもあれば死ぬこともある、と教わった。
 読者の皆さんの「時間との闘い」状況はいかがでしょうか??

2012/06/09

歩禅記(61)

 ~360度回転しても水田~
 夢と言えば大袈裟かな?幼き日々への懐古の思いと言えば頷けるかな?加齢症候群の症状と言えば納得したりして、この地に立つと心の奥底まで「緑の風」が入り込んで来るようで命が洗われる思いになるのです。こんな空気を一変させてしまった原因の追求と支援体制は遅々として進んでいないとすれば、どこに憤懣をぶつけるのだろうか。いくら勤勉な国民性とは言え怒り心頭に達する心情が理解できる。
 この時間は午後五時です。
 西の彼方には筑波山が見えるのですが、この日(6月8日)は見えませんでした。翌日の天候は雨天なのだろうか。孫の小学校の運動会なのに!?風に戦いでいる植え付けられた稲の苗が奏でる音が心を癒してくれます。カエルの鳴き声が聞こえます。水田と水田の間にはトウモロコシ畑も多くあります。天高く今日も囀って素敵な声を聞かせてくれる雲雀の子育てはその辺りなのでしょうか。
 4時半に家を出て一直線にこの場にやって来ます。
 独り歩禅の「お気に入り」ゾーンです。田植えの時期にはあちこちに農家の人と姿が見えましたが、今は、もう殆ど働く人の光景はありません。田圃道のど真ん中に立つとぐるっと1回転しても全部が水田です。
 誰もいない農道は、時々「我と語る」時間を提供してくれます。云わば、『独り言?』ですね。仕事として請け負う「講演」のリハーサルになることも多いのですが、元気でいることの幸せを噛み締める時間にもなります。
 約1時間の『独り歩禅』は、もう一人の自分を伴にして7000~8000歩を歩きます。田圃道からアスファルトの道路に出ると足の裏に違和感を感じるほど、現代道路は健康に良くないことがわかります。
 7000歩を歩いて汗ばんで帰宅しました。サッカーのTV観戦が夜の楽しみだったのです。我が目を疑うばかりの日本人選手の活躍に暫し呆然。ここまでたどり着くまでに協会の組織力の素晴らしさを痛感しつつの安眠だった。

 孫たちの小学校の運動会は明日に延期だそうです。明日は仕事なので出番のプログラムに出場できません。仕方なく出場する老妻は思案顔ですが、孫の威力に期待しましょう(笑)。

2012/06/08

刺激が刺激を産む

~ブログが改装されちゃいました!~
 当方の公式ホームページが閉鎖されたのが5月20日でした。
 それから今日まで、それをお気づきになった全国の方々から、「様々な思い」が寄せられました。受け止めることは出来ても「ご要望」には応えられないのが堪りません。そんな時、広島『響の会』からオリジナルのブログ( http://041020.at.webry.info/201206/article_1.html )を開設したとの一報がありました。それでも、どのようにして開くのかもわからず1週間が過ぎてしまいました。今朝は、論文添削という自宅での事務量も珍しく少なく、メールの返信量も少なかったので、上記のアドレスを入力して開いてみました。びっくり!!!
1週間遅れのお礼のメールを送りながら、ある考えが浮かんだのです。当方のブログがリンクしているので広島『響の会』の皆さんがこのブログにも訪問されることも多くなるんだ!と。
 刺激が刺激を刺激しました。
 「ダメ元」人生は歩んできた道です。思い切って当ブログを編集してみたくなったのです。少々弄っていたら、びっくり。こんな体裁になっちゃいました(笑)。ホントはもっと改装したい気持ちが無い訳でもないのです。しかしながら、現時点では、衣替えらしき改装が出来たことだけでも満足しています。読者の皆さんにも喜んでいただきたくなりました。

2012/06/07

我が家は運動会一色

  ~雨天を心配するばかり~
 週末は、孫が通う小学校の運動会の予定らしい。
 先月末に千葉に住む孫の小学校の運動会だった。雨も降らずに一回で実施できたと娘(母親)はホッとしたようだ。今度は同居の孫達の運動会の番である。今日も下校すると、「おじいちゃん、土曜日は雨降らないよね~」と、二人の小学生が連続して聞いてきた。答えは決まっている。「降らないように祈っているよ」である。
 運動会と雨。
 小生の学生時代の運動会は「秋の風物詩」だった。雨の降る確率は比較的少なかったような気がするが、皆さんはどうだったでしょうか?強烈な思い出は、高校の体育祭である。母校はその当時から開催は6月だった。九州の6月は「梅雨真っ只中」である。3年間、3度とも「全て雨天」だった。中でも強烈だったのは3度の延期で、待ったなしの開催だった。生徒会の声掛かりで全校生徒が自宅から雑巾を持参して、運動場の水取り作業で始まった。降雨が無かったので数時間遅れで開催されたが、異常なほどの盛り上がりだったのは何故だったのだろうか。同窓生との雑談でもその話題が必ず飛び出すのが強烈度を物語っている証拠である。
 小学校や中学校の運動会の思い出は特記することも無い。小生は、何の努力することも無く、徒競走で2番以下の順位を獲ったことは無かった。走力には自信もあったので、運動会を苦にする友人たちには申し訳ないと思うことが思い出だったかもしれない。表現が稚拙で自慢話と感じられた人にはお詫びします。
 そんな事前の苦労と楽しみが交錯する週末の運動会。
 せめて、千葉の孫たちの運動会のように雨に悩まされる様な事が無いようにと祈るだけである。

2012/06/06

日々成長する!

 ~こんなに大きくなりました(笑)~
 庭先の向こうの畑には、栗の花が満開です。
 秋にはまた、でっかい「栗の実」が音を立てて落ちながら存在感を知らせることでしょう。写真の足元には、「蔓の処理」に困ったキュウリが、「もう、花を付けましたよ」とばかりに、あっという間にいくつもの黄色の花を咲かせ始めました。
 俄か作業。
 教科書なしの野菜栽培(?)作業にも小さな感動が湧いてきました。キュウリ大好きな次男孫は、この窓辺で眺めながら「おじいちゃん、いつ食べれるの?」の連呼です。「おじいちゃんは素人だからわからん。キュウリに聞いてみたら?」と返してあげると二人で大笑いになります。
 写真の主役はキュウリですが、インゲンも茄子もピーマンも花が沢山咲いています。自然力の為す業に脱帽です。老妻が母の日にいただいた「あじさいの花」も地植えにしました。枯れずに新芽が出てきました。贈った嫁も貰った義母(妻)も大喜びです。来年は庭の片隅で紫陽花の花も愛でることが出来るのでしょうか?
 家に居る時間がこれからは、徐々に増えることは確かです。
 雑草に成長を妨害されないように、野菜のための「強い味方のお祖父ちゃん」になる日も近いようです(笑)。人育ても難しいですが、植物の栽培も難しいのです。その苦労を自分なりにわかる日が近いような予感がしています。

2012/06/05

『生きる力』の迫力


 ~『蔓』の先端に学ぶ~
 ちっちゃな庭(?)に、初めて野菜を植えた。
 小生の人生には「植物の栽培」の形跡は全く無い。その種の欲望も意欲も無く70年近くを生き延びている(笑)。ところが、小生は正真正銘の農家の倅である。祖母が「百姓家に男が多いと破産する」と言っていたことを思い出すことがある。他業種に就いて家を出て行くのが農家の次男や三男の宿命と聞いて育ったのは、小生だけではない。長兄は家に残り親を助けながら家業を継いでくれた。次兄は工業高校を卒業すると就職先の神奈川県に転住した。三男である小生は、「夢と希望」を抱いて教師への道を描きながら家を出た(「家出」ではない!)。
 実家の庭先には、四季折々の野菜や花が豊富だった。トマトも茄子も、キュウリもかぼちゃも自給自足の野菜は嫌でも栽培されていた。キュウリの小さなとげを嫌った小生は、祖母の言いつけを避けたモノだった。成長した「野菜」の恩恵を迷惑がった少年の日々が今となれば滑稽に見えて仕方が無い。
 今年初めて庭先に数本のキュウリを植えた。
 4日間留守をしている間に目に見えるほど「蔓」が伸びていて、帰宅した小生に蔓が垣根の金網に絡まっているから支柱の方に向けないと、と言うではないか。我々夫婦間では夫の実家が農家であったことには解説も不要である。農家で育った夫だから、キュウリの蔓の手入れ位は大丈夫だろうと信じて(笑)託した言葉だったのだろう。
 学校教育では「生きる力」を育成することが課題となっている。そんなに生きる力ないのだろうか?一般人なら不思議に思うだろうな。生きる力の根源が、「生活している」現状が利便性の促進が進むほどに「自力」「自活」「自主」等々の生きる勢いを剥ぎ取ってしまったのである。
 1ミリもない「蔓の先端」を、金網から支柱に向けようと挑んでビックリ。
 近づかないと分からないほどグルグルグルと金網に巻き付いて解くのが大変であった。風に負けないように蔓の先が立派な命綱になっているのだ。こんな青白い貧弱な小さな先端が「生きる力」を証明してくれた。
 学問って、所詮こんなモン?
 小生はキュウリを食して大きくなった(笑)のに、何も知らない。キュウリの旬も知っている。キュウリの料理も「知識として知っている」だけなのか!数本のキュウリの「蔓」さん達への生徒指導(=蔓の方向性を変える)に悪戦苦闘の昨日の昼下がりだった。

今年は花(=カサブランカ)の栽培にも挑んでいるんですよ。蕾を付けて成長している「大作」です。写真掲載でその公開が出来ることを期待してください。

2012/06/04

虫歯予防デー?

~「◎◎の日」の効用や、いかに?~
 廊下に並んで必死に歯を磨く子ども達。
 60年も前の事である。その中に少年時代の小生がありました。そんな光景が今は、あるのだろうか?当時は全国の児童が周知していた「◎◎の日」の一つであったことは事実ではなかろうか。あれも学校教育の成果であったとも言える。当事者意識はゼロに等しいものだったが、「歯の重要性」は年齢を加える毎に、その意識度は確かに高くなった。その頂点は90歳近くになった義父を歯科医に診てもらうために連れて行った時だった。痛がったり苦しがったりを表出しない義父が、一見しても腫れ上がっている頬を確認して、拒否する義父を(半ば強制しつつ)促して歯科医師の門を潜った時だった。
 義父の「虫歯ゼロ」は親族では有名だったらしいが、老妻の認知度の進捗と並行したのか、看病疲れも手伝って歯のケアも手抜きになったのだろう。虫歯になってしまった状況下でも歯根は健存していたらしく「総入れ歯」の完成までかなりの日数を要した。出来上がって暫くするとその完成品も棺に入れる羽目になった。
 医師が小生に向かって言われたのか。そのアドバイスは今となれば宝物である。血縁は無いが、義父の後継者は、この齢まで「虫歯ゼロ」の小生である。そして、小生の歯科衛生アドバイザーは妻である。妻は母親似で虫歯治療通院の専門家である。「予防への心がけ」についてはポイントを得て説明してくれる。納得しつつ従順に励行しているので、今のところ『80-20』(=80歳で健全な歯が20本)は達成できそうな予感がしている。
 今では、妻のお勧めの歯間ブラシも旅の必需品となった。肩こりが歯痛に繋がるともご指導を戴いている(笑)。鈍感なのか、肩こりは殆ど感じたことも無い小生であるが、忠告を素直に受け止めて歯を大事にすることにしよう。
 旅の疲れは確かに残っている朝である。
 一気に疲れが抜ける年齢でもないが、休養時間を多めに取りながら、元気な歯と一緒に、もう一仕事できるような健康な老体を管理することにしますか、ね。

数日間のブログ休刊にて失礼しました。これからも時々休刊になりますがご了解ください。HPは閉店になりましたが、工夫をしながらこのブログで情報発信を致しますのでご愛読を、よろしくお願いいたします。

自己紹介

自分の写真
1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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