~3時間で高知往復~
やっぱり空路は速い(笑)。
往路の機内では依頼原稿の下書きで機内アナウンスから着陸態勢が知らされるまで集中したので予定の用務はほぼ完了した。買い込んだ週刊誌(後日のブログで使用予定)を開く時間も無かった。
「到着地は小雨・・」との案内で窓の下を、打ち付ける雨筋に遮られつつも懐かしく景色に見入った。脳裏を掠めたのは数年前のこの上空を旋回しながら「胴体着陸」に成功したパイロットの高等技術が注目された光景である。
手荷物を預けていないのでそのまま路線バスへと乗り込んで高知駅を目指す。
JR高知駅前にある宿泊予定のホテルであるが、流石に傘をバッグから取り出した。チェックインタイムまでまだ、時間があるので荷物だけを預けるためにフロントに立った。スタッフから部屋の準備が出来ている、と伝えられたので荷物を置いてロビーでお迎えの教頭先生の車を待つことにした。ロビーの前に目を向けると3人の立派な土佐武士が迎えてくれた。(写真)
本務が始まった。提案授業は4年生の「道徳の授業」である。指導者の人間性が学ぶ子どもたちへ与える影響力はこんなに表出するモノなのか。子どもたちの表情が人懐っこく、そして発する高知弁による交わす言葉が温かい。
4年生と言うことは、3年間の「教育を受けている」子どもたちの集団である。教育は単年で結果が出るモノではない。「石の上にも3年」とは上手く表現した言葉である。目の前の子ども達の集団力に、その意味の深さを知らされた。愛情のある教員の居る教室はそれだけで安堵する。飾ることが苦手と思える人柄の指導者の授業展開に、心を預けている子どもたちの視線風景が心地よかった。
授業後の「事後研究会」(=この学校での表現)も、何回か出席しているのでこちらも肩に力が入ることは無い。アドバイザーとしての椅子に座る。発言者の一言一句を逃すわけにはいかない。傷を舐めあい歯が浮くような言葉で終わるこの類の研究会が多い。そんな時間との遭遇にはとウンザリする。
今回の収穫は、司会者の進行技術だった。授業と同じで、司会者も丁寧に発言を復誦することが多い。今回の「全く復誦しない」司会者のスキルに完璧に脱帽であった。時として数秒の沈黙があったが、この時間に堪らなく痺れた。
指導助言を終えて会は閉じられた。即刻、ホテルに送って貰った気遣いに感謝した。30分間の『腰湯』(=我が健康法の一つ)で、旅の疲れも学校訪問の疲れも癒された。ホテル内にあるレストランでの懇親会設定にも感激だったが、小生を高知市に呼び込んだ別の小学校に勤務する教員も懇親会に飛び入り参加が許される、この学校の包容力に再び感激しつつ旧交を温めることも出来た。
訪問二日目。校長先生の熱心な尋問に丁寧に応えながら責めは果たせたのかな?「渡り鳥・授業観察」も、手渡されたメモ用紙(校長先生のアイディア)に、殴り書きをしながら任を全うした。全ての授業にコメントを書き込んだ用紙をお返しして学校を離れた。教頭先生に高知駅まで送ってもらい帰路に着いた。
通称「晴れ男」は、帰路の好天が証明してくれた(笑)。羽田空港に着いて、出版社との連絡を取って東京駅で待ち合わせをした。往路の機内で書いた下書きの章立てについての意見交換をして上野駅に直行した。いつもと違う常磐線の発着構内に目がテンになった。常磐線線路の陥没が午前中に発見され、やっと動き始めたらいい様子が掴めた。ともあれ、入線している特急電車に飛び乗って現状を知った。3両しかない特急電車の自由席は立錐に余地も無い。「200パーセントの通勤電車」並みであった。土浦駅までの停車駅は一つだけである。と言うことは座れる可能性はゼロパーセントである。
通過するどの駅のホームも動き出した電車を待つ人でいつもの風景とは全く異なる。幸運の幸運は、土浦駅で下車した後の運行であった。土浦駅始発の水戸駅行きの臨時電車の案内だった。待ち時間も殆ど無く、下車駅まで辿り着いた。明るい時刻の帰宅は疲労度も半減されるようだ。