~「6月だから」の被害~
「離れ」に住む老夫婦にとって朝の美味しい空気を戴ける喜びの源は隣接する栗畑にある。
作業をされる親子(高齢者の父親と孫もいるご長男)のきめ細かな配慮で見事な栗林が広がっている。東から朝日が昇ってくる時間帯も繁った栗の木の葉で夏の日差しを遮ってくれるので暑さも感じない恩恵も受けている。
昨日の朝。
雨戸を開けた瞬間、想定外の景色に唖然とした。写真でご覧のような風景が目に飛び込んできたからである。この状態から一日も経つときれいに片づけられて爪痕もわからない。はっきりしているのは栗畑の向こうにある隣家の庭さきを見ることが出来るように片付いていることである。
離れのリビングから対話が出来る場所で作業をされる姿に向かって声を掛ける。「大変ですね。こんなことって多いんですか?」と。「6月で良かったですよ」と思いがけない答えが戻って来た。毬栗になってからだと、重さも加わるので枝が折れやすくなるのだとの説明でわかった。秋の台風襲来には命が縮む思いだとも語られた。だから、「6月で良かったですね」と、同意の考えを言葉に発することはできなかった。
丹精して農作業に取り組まれる農家人のこの努力は、自然界の脅威との闘いだと言われた老父の言葉が重かった。こんなに必死に栗の栽培に取り組まれて収穫した栗に、「福島第一原発」の被害がないことを祈るばかりである。
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