2012/06/17

今日は何の日?

~「日常的な意識」に勝る『日』は無い~
 加齢証明書は数多いが、時として形式的な行為受けるのが「うざったい」(=面倒くさい)気持ちになって、出来れば回避したくなることがある。是などその一つではないだろうか?そんな感情を表出すると家族に顰蹙を買う始末になる。「素直じゃないんだから・・」の類で指摘を受けてしまうことが最近富に多くなった。照れ臭さが無いわけでもないが、「今更、殊更に?」とへそ曲がり的な発想に至ってしまうのである。心中では「有難い」と思ってはいるのだが…(笑)。
 昨日、届いたらしい嫁いだ娘から『父の日』の贈り物を妻が持って来た。中身はポロシャツである。爺脳には、「もう、これを着て出かけるような所もないよ」と呟いてしまった。居ないと思っていた老妻からズバリと叱責された。「素直に有難う」と言えば良いじゃないの!と。ただ、素直に嬉しくなったのは別の紙袋に3枚入っていた「着古し」のポロシャツの方である。婿が「もう着ない」シャツを時々届けてくれる。今日も着ているシャツもその一つである。この日常的な意識が快い。素直に「ありがとう」が口を突いて出る。父の日だから「贈る」のではなく、日常的な「贈り物」の交換で親族の縁に感謝する行為が嬉しい。
 父の日の贈り物を拒んだり、礼を欠く態度を示すことなどは全くない。常識は弁えているつもりでいる。世帯を持った3人の子どもたちが父親として、母親として懸命に生きている姿を確認できる幸せはどんな高価な『贈り物』にも勝るのである。きっと今日は、それぞれの夕餉のテーブルで「お父さんありがとう」を可愛い孫たちが大声で発することだろう。そんな光景を想像するだけで「父の父」は嬉しいのである。
 『◎◎の日』の設定が「経済至上原理」に振り回される日本経済機構に危惧するのは小生だけではあるまい。せめて、通常的に「お父さん、ありがとう」精神を培う家庭教育を見直してもらいたいのである。「ありがとう」と言う言葉は自らの内面で醸成されて発するモノだと確信して憚らない。
 今日の父の日は、横浜に出講する日である。月末まで出講日程が詰まっている。高知や広島と遠隔地への出講も組まれている。「元気な父の日」をこれから何回迎えられるだろうか。子どもや孫たちに心配かけない元気な人生を続けることを心がけたい。それが「子ども孝行」になるだろう。「父の日」への心遣いをありがとう。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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