~貴重な早朝の「10分間」~
この時間になると小学校の運動会の前の練習風景が必ず浮かんでくる。
朝礼台から指導される「怖い体育(系)の先生」からの叱咤の声が運動場を木霊して幼い少年の耳(鼓膜)を振わせて緊張感を募らせた。「やりなお~し!」が何回続いただろうか。児童が倒れて校舎の日陰に運ばれる光景が続くと、「気合が入ってないから倒れるんだ」と檄が飛んだ。定例の朝会でも倒れる友人に「根性なし」とレッテルが貼られる時代だった。是非論を提供しているのではないが、価値観や教育観は確かに時代と共に変容していることは確かである。
面白くない体操。有益性のない体操。強制的にやらされる体操。
こんなにも「怨み辛み」ばかりを述べてしまうラジオ体操は。僅かな10分間の体操でも、ある日々から貴重な時間に豹変する(笑)のだから人生とは妙味ではないか。「たかがラジオ体操ではないか」から、「されど(貴重な)ラジオ体操」なのである。これも年代と共に変容しているのも確かである。
雨で歩禅が出来ない日が続くと、この「10分間」の重要性を痛感する。
末っ子の孫には「お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの踊り」の時間と評価されてしまった(笑)が、評価は別としても「全身を動かす」貴重な10分間であることは否定できない。
読者の中には、「えっ、ラジオ体操?」と訝しがる方も多いだろう。いつの日かこの爺の心境に達しましたら、(小生の生きていることが確認できましたら)手紙なりメールにてお知らせくださいませ(笑)。
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