歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
2012/06/05
『生きる力』の迫力
~『蔓』の先端に学ぶ~
ちっちゃな庭(?)に、初めて野菜を植えた。
小生の人生には「植物の栽培」の形跡は全く無い。その種の欲望も意欲も無く70年近くを生き延びている(笑)。ところが、小生は正真正銘の農家の倅である。祖母が「百姓家に男が多いと破産する」と言っていたことを思い出すことがある。他業種に就いて家を出て行くのが農家の次男や三男の宿命と聞いて育ったのは、小生だけではない。長兄は家に残り親を助けながら家業を継いでくれた。次兄は工業高校を卒業すると就職先の神奈川県に転住した。三男である小生は、「夢と希望」を抱いて教師への道を描きながら家を出た(「家出」ではない!)。
実家の庭先には、四季折々の野菜や花が豊富だった。トマトも茄子も、キュウリもかぼちゃも自給自足の野菜は嫌でも栽培されていた。キュウリの小さなとげを嫌った小生は、祖母の言いつけを避けたモノだった。成長した「野菜」の恩恵を迷惑がった少年の日々が今となれば滑稽に見えて仕方が無い。
今年初めて庭先に数本のキュウリを植えた。
4日間留守をしている間に目に見えるほど「蔓」が伸びていて、帰宅した小生に蔓が垣根の金網に絡まっているから支柱の方に向けないと、と言うではないか。我々夫婦間では夫の実家が農家であったことには解説も不要である。農家で育った夫だから、キュウリの蔓の手入れ位は大丈夫だろうと信じて(笑)託した言葉だったのだろう。
学校教育では「生きる力」を育成することが課題となっている。そんなに生きる力ないのだろうか?一般人なら不思議に思うだろうな。生きる力の根源が、「生活している」現状が利便性の促進が進むほどに「自力」「自活」「自主」等々の生きる勢いを剥ぎ取ってしまったのである。
1ミリもない「蔓の先端」を、金網から支柱に向けようと挑んでビックリ。
近づかないと分からないほどグルグルグルと金網に巻き付いて解くのが大変であった。風に負けないように蔓の先が立派な命綱になっているのだ。こんな青白い貧弱な小さな先端が「生きる力」を証明してくれた。
学問って、所詮こんなモン?
小生はキュウリを食して大きくなった(笑)のに、何も知らない。キュウリの旬も知っている。キュウリの料理も「知識として知っている」だけなのか!数本のキュウリの「蔓」さん達への生徒指導(=蔓の方向性を変える)に悪戦苦闘の昨日の昼下がりだった。
今年は花(=カサブランカ)の栽培にも挑んでいるんですよ。蕾を付けて成長している「大作」です。写真掲載でその公開が出来ることを期待してください。
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自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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