2012/06/14

『常総の歴史』 第39号

 ~『水戸藩』の教育を覗いてみたい~
 江戸幕府を大政奉還した第15代将軍徳川慶喜は水戸・徳川の出身だとか・・。歴史に関しても浅学の小生の「聞きかじり」知識である。下記のような記事を読むと、江戸から明治へと国家体制を『方向転換』させる英断を下した当時のトップリーダーの生い立ちと成長までの「教育」のプロセスに興味が湧いてきた。

 尊敬する第2代藩主・光圀の教育方針を踏襲して子女は江戸の華美な風俗に馴染まぬように国許(水戸)で教育するという斉昭の教育方針に則り、天保9(1838)年4月末(生後7ヶ月)に江戸から水戸に移り、一橋徳川家を相続するまでの多くを同地で過ごす間、会沢正志斎らから学問・武術を教授されている。慶喜の英邁さは当時から注目されていたようで、斉昭も他家に養子には出さず、長男・慶篤の控えとして暫時手許に置いておこうと考えていた。

 地方紙に「常総の歴史」の紹介を発見したのが、1週間ばかり前の事だった。販売営業所に電話をして郵送してもらった。当方の興味関心とは内容にズレはあるが、「水戸藩の教育」機関として設立された弘道館という藩校のことが論述されている。楽しく読むことができた。江戸時代の教育に学ぶことは感じてはいたが、このような専門家の執筆による研究誌は初めての購読である。現地近くに転居したことを好機にして「古の水戸」を訪ねたくなっているのが偽らぬ現状である。
 今日は豊橋市に向かって間もなく出発する予定である、「旅の伴」としてこの研究誌を携えてじっくり読書を楽しみながら旅をすることにしよう。
 早朝歩禅(朝5時~)は今日も終えた。妻の元気復活に安堵してばかりおれない。夫も負けずに元気を出して豊橋市の小学校で立派に務めを果たして帰って来ることにしましょう。行ってまいります!!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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