2012/06/22

丹精を尽くす

 ~「育つ」ための見えない熱量~
 辞書で「丹精」を調べてみる。「まごころを込めて物事をすること」の第一義に加えて「丹精して育てた盆栽」という例示があった。盆栽づくりに挑んだことのない当方には例示は少々のピンボケではあるが、ニュアンスは通じない訳ではない。
 庭先に咲いたダリアを切って、姉は新聞紙に包んで登校していた。母は仏壇に供えることもあった。沢山のダリアが咲き乱れていた生家の庭先を思い出しても、球根植物であることは知識としてしか知らなかった。祖母の丹精でそだてられた草花で四季折々の変化を知らされたことを、この年齢になると感謝の心で思い出す。
 転居して初めて訪れた県立フラワーパークは、ダリア展だった。見たことも無い品種のダリアを見て目がテンになってしまった。目を見張るような他種のダリアに目移りしながらも、少年時代の庭先に咲いていたのと同種(に近い)のダリアに目が留まった。そして有料の球根を買い求めて帰宅した。ネットで栽培手法を学びながら妻と一緒に3個の球根を植え付けてみた。二人とも自信など全くない。
 芽が出ただけでも胸がドキドキした。
 大きくなって葉っぱが付いて倒れそうになると支柱を差した。妻が「過保護かしら?」と囁いたが、「咲いてくれれば良いんだよ」と切り捨てながら成長だけを祈るバカ栽培主になっていた(笑)。蕾を数個発見した朝は有頂天になった。そして台風が来て去った。ダリアの向こうにある栗の大木が折れて倒れている朝、恐る恐る庭先のダリアを見詰めた。「咲いたぞ!」と大声を上げた夫の方に近づきながら妻は、「きれいね」と嬉しそうだった。
 一輪の花が咲きました。
 丹精込めて栽培したのだろうか、と自問する。心配はしたが丹精を込めたとは思えない。最初に咲いた大輪の花を切って妻は、花が大好きだった亡母の仏前に供えた。仏壇に額ずく妻は何を報告したのだろうか。
 育つための熱量(エネルギー)を考える。
 熱量が十分に発揮できるための基本条件は土壌と栄養素なのだろうか?この地に転居して初めての試みた「植栽」である。モノを言わない植物が適量のエネルギーを得るためにはその環境づくりが必要だと感じ入ることが多くなった。
 「人を育てる」にも、それなりの「環境づくり」が必要であることを実感する。肥料も水分も植物の種類によって異なるらしいが、人の育ちにもその人なりの支援が必要であることと同じである。
 県外出講で留守をして久しぶりに見る野菜や花の成長に仰天するばかりの昨今である。花屋さんで切り花を買わずに庭先で「丹精込めて咲かせた」花を仏壇に供えることが実現した朝であった。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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