=5時10分~6時(6700歩)=
昨日は小雨の朝だったので断念した。そんな朝は「ラジオ体操」に全力投球である(笑)。先日の当ブログに記載したように「たかがラジオ体操」ですが、この齢には真剣に手足を伸ばして取り組めば終わった瞬間「ふ~っ」と息をつく程である。どうぞお試しいただきたい(加齢を感じ始めた方に限定)。
今日は周囲1.3キロ(案内表示板)の『鶴沼』のウォーキングコースを歩くことにして、妻も同伴できる状況になったので一緒に家を出る。気温の低さを体感しつつ歩き出した。こんな陽気には首にタオルは欠かせない。このタオル効果も驚く。
この沼は孫たちが通う小学校が南に隣接している。彼らは毎日通っている距離でもある。早朝歩禅は、通学路を歩くことが目的では無い。沼のウォーキングコースを歩くことである。初めてのトライであるので期待も大きい。期待度は「多くのウォーカー」との出会いだった。
期待は裏切られるモノ。出会ったのは3人だけだった。
時間が遅かったのだろうか?自問しながらも拍子抜けして帰路に着いた。慣れてきたらこのコースを2~3周出来ると良いだろうなぁ、と思いつつ忘れ物に気が付いた。デジカメである。皮肉にも早朝に湖面から上がる湯気のような水蒸気の白い色がきれいに見えるではないか!写真は次回にご期待願いたい。
帰宅して朝食を済ませると恒例のラジオ体操。そして、この歩禅記を認める。7時15分には孫たちが登校する。それを見送ると爺と婆の「朝の日課」は完了である。
どちら様も、「行ってらっしゃいませ」と言わせてもらいましょう。
歩禅とは、『安岡正篤 人生を拓く』(神渡良平 著 講談社+α新書)で拾った言霊です。千葉県で早朝ウォーキングを長年実践しておられる方の言葉として紹介されていました。沈思黙考の「坐禅」に呼応するものだそうです。ふと読み留まったのは我が愚脳にも大きな電撃が走ったからなのです。歩きながら自然界に身を委ね、自然界に畏敬の念を抱き、そして自然界に語りかけることのできる自分を見いだすこと。これを「歩禅」と利己的に理解しました。坐禅が苦手な私には「静かに座して己と語る」ことに替わるべく言葉として受容できる気になったのです。だから私には単なる言葉としてではなく、『言霊』(ことだま)となったのです。 平成16(2004)年10月20日 還暦に記す ~以降「散歩日記」を歩禅記として継続発信中~
自己紹介
- 角田明
- 1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。
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