2012/10/10

改装成った『東京駅』

 ~やっぱり凄い人だかり~

 「わざわざ」東京駅の駅舎を観るだけのために上京することは考えない。

 しかし、東京駅で中央線に乗り換えて鍼診療所に向かうとなれば、「ついでに」降りて改札口を出るだけで良いと考えれば実践したくなるのが性分である。いつもの通りに夫の物見遊山的発想による提案には同行の妻の尻込みが付き纏う。しかし偶発的な事故の発生は侮れない(笑)。

 鍼診療を終えて携帯電話を見る。蒲田(東京)に住む次女から中央線の人身事故の情報をメールで知らせてくれていた。仕方なく横浜線の乗車駅(相原)まで歩いていると、次女の第二弾情報が届いた。運転再開はしたがダイヤに大きな乱れがあるとの事だった。妻に再度の提案。時刻通りに上野駅からの帰宅予定案が崩れたのだから「東京駅・中途下車」案はすんなりと受け入れられた。「災い転じて福と為す」は人生哲学の一つでもある。

 写真をご覧ください。

 同じ思いの人々の多い事。恐らく多くの人たちが「中途見学」だと思われる。時間的にラッシュ時刻ではないので丸の内界隈勤務の人たちの群れとは遭遇しない。これも偶然の救いでもあった。観光スポットになっている東京駅であることだけを実感して帰路の電車に乗った。下車時間は10分間であった。

 鍼診療は診療中より診療後に怠さがあり長時間の歩行はかなり厳しいモノがあるので妻の不安も理解できてはいたが、帰路の特急電車の車中でデジカメの写真を見ながらまんざらでもなさそうな妻の横顔に安堵したのか眠ってしまった。

 東京駅は通過することが多い。

新幹線に乗り換えるための駅となりがちではあるが、「ちょっと下車」して、変わりつつある八重洲口界隈に競合するかのようにレンガ造りの東京駅(「丸の内」口)周辺の改装ぶりは、見るに堪えうるものであった。自己満足は得意芸である小生ではあるが、ホンの10分間の途中下車の「ぶらり旅」も乙なモノであった。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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