2012/10/19

講演・旅日記(実践授業・愛知編)①

 
写真はネット情報で「秘境」と「源泉」をキーワードにして得たものです。
 
~底知れぬ「学び」のパワーの源泉~

 嬉しい恐怖心が蠢いたのはそんな源泉と遭遇したからである。

 学びの源泉が「澄んで清らかに流れている」ことに気付いた。その源泉の流れにどんな感動の色を流し込んであげられるのであろうか?人生の旅人は立ち止まって考えてしまった。その清流に流し込める色合いを持ち合わせていないとなると源泉の色は澄んだままで下流に流れ去ってしまうのか?いや、源泉の色合いのママに流れ去る清流はあり得ない。途中で流れて来る枯葉や枝木、あるいは流れを遮るほどの大きな流木とも遭遇するのだろう?

 ふと、ある教育理念(=『学びを学ぶ』)を思い出した。

 清流の資質と、その流れの行く手を想定できないと「清流という学習者」への手当は施せないかもしれない。手当に関わる人材の資質と研鑽が充実しないと「学び」を「学ぶ」指導者集団の任は果たせまい。流れを創り出す堤防や淵に盛る木々や雑草の手入れも欠かせない。これも軽視できない人材である。小さな橋も作って流れて来る不要なモノを除去する作業も決して忘れてはなるまい。清流に生きる生物の存在も無視は出来ない。

 源泉の清流が、やがて大海に注ぐまでの長い道程を「学び」と考えれば、時には「竿を挿して」流れの方向性を変えることも「学びを学ぶ」ことに繋がるのではないかと思いを巡らせながらの45分間だった。

 豊橋市立多米小学校6年4組。数名の空席があるのは本校のどの教室でも見受ける本校の特徴でもある。指導困難校を証明する学習環境はまさに秘境の渓谷に足を踏み入れる困難さではないか。指導の難しさと共生している本校の特徴と理解した。授業を観察する全ての学級に「空席」が1つや2つでは無いことがわかればわかるほど、「学びを学ぶ」足取りが鈍くなってしまうのではないだろうか。

 しかし、授業が始まると悲境の渓谷の清流に棲む「学び人」たちの眼光は異常なまでに光った。それは素直に「学び」を受け入れる眼光であった。豊橋市教委が特設した学習環境(=英語特区)を過ごした6年生の児童の「学び」の効果がそこに顕在していた。その「学び」に圧倒される時間と闘う老脳には快感が走った。

 犬は英語で何と言うの?でも小学生の英語の「学び」には難しい。しかし、今回の授業では「りっちゃんのお母さんは病気です」って英語ではどう言いますか?を英語で問うパターンにも、いとも簡単に英文で答えが返ってきた。小学校での学びがここまで到達しているとなれば中学校での英語教育はどうなるのだろうか。楽しく空想しながら授業を進めた。教壇から離れて年月が長くなっている老輩に大きな刺激が走った証拠になる授業展開であった。

 学びを学ぶ姿勢を発見するには、それに見合う授業をするしかない。
 授業の流れにその源泉がある。良い授業をしなければ「学び」の発見は期待できない。授業は理論ではない。授業は泥臭い実践である。そんな学びを気付かせてくれた豊橋の小学6年生には感謝状でも贈るかな(笑)。
 
歩禅の記録 15:00~15:45【5200歩】
秋の陽射しの中を田んぼ地帯を歩きました。すっかり秋の深まりを感じる程にヒンヤリした北関東の風を受けながら歩いていると田んぼの中に白い円柱状の束が幾つも転がっていました。これって何だかわかりますか?やっぱり大好きな柿の実に注目してしまいました(笑)。良い風景でしょ?

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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