2012/10/27

歩禅の記(5)

~小学校の「秋祭り」~

 孫がお世話になっている小学校でも「秋祭り=学校によってネーミングは異なる」があると言うので老妻と一緒に「歩いて=「歩禅」」出かけた。「お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも来れる?」と、未だ意向を質す年齢なので、行事を参観しても良さそうだと判断した。

 早朝歩禅コースにある小学校なので時間的には15分では到着する距離にある。嫁と末っ子の保育園児は8時半には車で出かけたが、我々夫婦はプログラムを見て9時半開始の「金管演奏」に合わせて出発した。全校児童が200名に満たない全学年単学級規模なので演奏発表を聞きに集まった児童の集団が体育館の広さに比べると極小の面積に座っていた。

 楽器(金管)演奏を聴くたびに感心することがある。

 「練習という訓練」によって、ここまで演奏が出来るのだ、という劣等感が唸らせるのである。自慢ではないが楽器と言う楽器で演奏できるものは何一つない小生である。小学生時代に友達のお姉さんがバイオリン(=当時は名称も知らず)の演奏を小学校の講堂で聞いた。高い音の細い音色のきれいなことに感動した。遊びに行くたびに弾いてもらった。幼心にも優雅さが伝わり、心が澄んでいくような気分にもなったものだった。

 孫の叩く大太鼓の音色を聴きながら、「いつ、こんな技能を体得したのかな」と呟くと、隣席の老妻が、指揮をしておられる先生を見ながら「教育の賜ですよね」と返答した。分かっているが呟いてしまうのである。

 教育現場から遠ざかっておよそ10年になる。日常的な「指導と訓練」風景を飽きる程見続けてきた小生であるが、今日の鑑賞視線は違った。「孫の演奏」を聴くために祖父母の姿が多かった勤務校の多目的ホールを思い出した。そして、今、己がその立場にいることに気づいて苦笑した。

 30分間の『学校現場』に滞在して満足して小学校を出た。早朝歩禅のコースを通常通りに回って帰宅した。学校では、演奏会の後に学年ごとのプログラムがあることは知っていたが、歩禅の一環として立ち寄ることで孫への配慮も果たし事になるので残りのプログラムは母親に任せて帰って来た。    【5600歩】

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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