「先生は、私たちが中学1年生の時は何歳だったんですか?」と質問が飛んできた。「27歳だった」と答えると、何とも言えない声となって返って来た。我が子が27歳だと言う母親としての反応が混じった声だったようだ。誰かが呟いた。「老けて見えたよね」と小声を発したのも聞き取れた(笑)。
次のセリフが卒業生たちの成長を裏付けた。
「今の27歳って、子どもだね」「昔の27歳って堂々としたオトナだったね」と続く呟きを受け止めながら観点が違うことで理解度が変わることを発言してみた。親の視点と観点は一般論とは少々異なっていることを説明した。今日の集まりは「中学校女子ソフトボールOG会」として8年ぶりに再会であった。私立高校教員(3年)を経て、公立学校の正規教員として一歩を踏み出した中学校の卒業生である。6年間勤務して隣接都市の中学校に異動した。当時の中学生(最上級生)が殆ど50歳の大台の年齢になっているようだ。
運動部員の回想は、これも観点が違う。いい意味での先輩後輩の上下関係が明確である。思い出話は、やっぱり厳しかった練習と勝敗に一喜一憂したシーンが多くなる。指導者の回顧がそこに同時並行して浮かぶ。部を新設して2年で市内大会を制して地区大会を勝ち抜いて県大会に出場したのは快挙であったらしい。常勝チームを負かした決勝戦の思い出話を聞きながら選手としての克己心に今更ながら感涙であった。
ソフトボールは野球と類似するスポーツである。女子がバットを振り回す競技なので「男勝り」という接頭辞が選手たちには付いた。中学校の体育教員になっている卒業生からは「野球部より厳しいノックだった」とばかりに、意地悪なノックの仕方を懐かしく語ってくれた。罵声を飛ばしながらの練習風景は6年間の勤務で有名になってしまっていたようだ。神奈川県下でも屈指の強豪チームに成長していた。今となれば指導者の至らなさも時効として許されるのかな?(笑)
東海道線「藤沢駅」から東京駅経由で上野駅始発の特急電車に乗りついでも3時間は掛かる。宴たけなわの時刻には中座して帰路に着くことを幹事には伝えておいた。中締めをしてもらって帰ろうとした瞬間、ハッピーバースデーの合唱が始まった。準備してあったらしいバースデーケーキが運ばれ、当事者である小生はドキッとしたのである。
我が家を出る時に、年少の孫が「お祖父ちゃんは今夜はいないの?」と、とても残念がったのはケーキが食べられない悔しさだったのである。苦笑いしながら玄関を出たことを、運ばれたケーキの前で「感謝の意」として述べた。
卒業して40年も経っている。記憶の片隅に残していてくれたこと、それだけで鬼の目にも「不覚の涙」が滲んでしまったのかも知れない。あ・り・が・と・う!と車窓から見える27歳の頃過ごした風景に向かって呟いた。外が暗いので「爺さんの顔」がそこにハッキリと映し出された。40年後の小生であった。若さだけの無茶苦茶な指導者だったことを詫びつつ教師稼業を回顧した夜だった。
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