3年前から「老人稼業」としての労働の機会を頂戴しています。
「教員を目指す」集団を対象にした民間講座(教栄学院=福岡市に本社)の講師としての業務に携わっています。教団生活の延長線上にあると気軽にお引き受けした軽率さに後悔しました。中学生や高校生に授業する事しか知らなかった小生には、「ちょっと、勝手が違うぞ!」と面喰った3年前の出来事が懐かしく蘇って来ます。退職校長の「アルバイト」(=安直な「お小遣い銭」稼ぎの意識)にしては、厳しい現状が叩きつけられたのです。大学生時代の家庭教師や塾講師とは温度差が違い過ぎました。
受講生をじっくり見据えて講義をしながら確認しました。居眠りをする受講生が一人もいません。多くの受講生が臨時的任用での「学校現場」勤務で苦労をしながら、月謝を納めて通学して来ているのですから当然と言えば当然です。しかしながら、小生は、この眼差しにはいい加減なアルバイト根性では太刀打ちできないと痛感したのです。誤解をしていただきたくないのですが、決して「講師料さえ貰えばどうでも良い」なんて考えてお引き受けした訳ではありません。
今朝一番、メールチェックをしてパソコン画面の活字に集中しました。
送信者の氏名も顔もハッキリと覚えてはいるものの、「あれ、今年の受講生だったかな?」と勘違いしたのです。それは、数日前から今年度の「合否の結果」メールが届き始めていたので瞬時の勘違いでした。メール本文(以下に紹介)をじっくり読みながらしっかりと記憶を弄ることが出来ました。個人情報もありますので原文のままではありませんが、ご紹介します。
角田先生
ご無沙汰しております。
昨年度、教栄学院でお世話になりました〇〇です。
先生の歩禅記はいつも拝読させていただいています。お元気そうで何よりです。また先生のお話を聴きたいなぁと、1年前の講義をなつかしく思い出します。
突然メールを送信しましたのは、今年度の神奈川県の採用試験に無事合格することができたので、先生に報告とお礼をしたいと思ったからです。先生のご指導のもと、論作文の書き方だけでなく、教員としての気持ちのあり方、物事への目の配り方を学ばせていただき、教員として再び働きたいという気持ちを強く持ち続けることが出来ました。それが、今年の合格につながったと思います。本当にありがとうございました。
現在私は、夫と2歳になったばかりの娘と静岡県掛川市に住んでいます。夫は転勤族ですので、来年度4月からは「私と娘」が神奈川に、夫はおそらく東海地方のどこかにそれぞれ暮らしていくことになります。家族がばらばらに暮らすことには不安を感じますが、それでも応援してくれた夫と、試験準備の間、祖父母に預けられながら頑張って待っていてくれた娘のためにも、全力で教員という仕事に向き合っていきたいと思っております。
娘の保育園のこと、夫の単身赴任、4年ぶりの学校現場への復帰など、不安に感じることもありますが、新しい生徒との出会い、教員仲間との出会い、授業前のあの心地よい緊張感といった心躍ることも同じくらい待っていることが嬉しくてたまりません。
本当にお世話になりました。お忙しくしていられます角田先生ですが、また何かでお会いできるといいなぁと思います。その時に恥ずかしくないよう、教師という仕事に向き合い、成長していきたいと思います。ありがとうございました。
「これから」ですよ。と合格の言葉に添えてエールを贈りました。ご主人とお子さんの涙ぐましい(良い)犠牲を決して蔑にして欲しくないからなのです。こんな条件下でも勤務できる幸せに彼女なら立ち向かえると確信しているからでもあります。
たかが短期アルバイトなのですが、こんな出会いもあります。通過して行ったと思っている旅人から1年遅れのメールを貰える過分な幸福を『冥利』として受け止めました。「幸せのお裾分け」として読者諸兄も受け止めてくださいませ。
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