~「野球通」の小生だった!?~
プロ野球が今シーズンの終幕を告げる朝刊記事に目を投じた小生は我が目を疑った。「監督には、覚悟を持って1年をやってみてはどうかと言われた。常に僕の背中を押し続けてくれた」のコメントを発している選手の氏名を見て、「知らない選手」と認知してしまった。野球通の自身の自信が砕かれた。記事の左端の大きな見出しに、その選手名を再発見して、何気なく読んでいた週刊誌を思い出して引き出して読み直した。その記事を抜粋してご紹介しよう。
二宮清純レポート 日本球界・最後のサウスポー吉川光夫(24歳 日本ハムファイターズ)選手を「大化け」させる言葉の魔術
高卒1年目、そのデビューは鮮烈だった。だが「未来のエース」と期待された左腕は、その後の4年間で、ジリジリと崖っぷちへと追い込まれていく。ノーコン投手を救ったもの、それは言葉の力だった。
・・・前文≪略≫・・・・・ 「今年ダメなら辞めろ」 当時の監督・梨田昌孝は歯がゆい思いで吉川のピッチングを見つめていた。「吉川の失点には、ことごとく四球がからむんです。4安打しか打たれていないのに4失点という具合に。あれだけ速いストレートがあるのに、なぜ勝てないんだろうと不思議でした。 ブルペンでは、本当にものすごいボールを投げるんです。ところが打席に人が立つとコロッと変わってしまう。突然、ストライクが入らなくなるんです。いわゆるブルペンエース。ストレートでストライクが取れないから、今度は変化球に頼る。その変化球もストライクが欲しくてボールを置きにいくから体が緩む。もうバッターには〝変化球ですよ〟と、わざわざ口にして投げにいっているようなもの。腕も振れていませんでしたね」 入団3年目の7月に結婚した。すぐさま子宝にも恵まれた。 しかし、年俸は右肩下がり。今季を迎えるまでの6勝は、全て結婚前のものだった。 ---お嫁さん、居心地が悪かったのでは? 「友だちから〝あんたが悪いんじゃない〟とよく言われたそうです。彼女に辛い思いをさせないよう、頑張らないといけないとは、ずっと思っていました・・・・・・」 覚醒のきっかけは、思いがけない指揮官の一言だった。日本ハムは昨シーズン限りで監督の梨田が退任、解説者の栗山英樹を後任に起用した。 秋のキャンプ、栗山は吉川に会うなり、こう言った。「来年ダメならユニホームを脱がせるからな!」 温厚な栗山が珍しく刺激的な言葉を口にした背景には、こういう理由があった。「僕は1年間、吉川にローテーションを守らせてやりたいと考えていました。だから〝四球をいくら出したっていい。その代わり、オマエが投げたいボールを投げてくれ。それならオレも納得する〟と。 といっても、目標を達成するためには、期限を決めなければならない。いつまでも待っているわけにはいかない。本人に危機感を持たせる意味も込めて厳しいことを言ったんです」 この一言が、ずっと吉川の心の底にわだかまっていた四球に対する不安を振り払った。「あの一言が僕には大きかった」 本人も、そう認めている。「野球に限っては気持ちの切り換えが下手でしたね。四球を出すと、それを後悔してバッターに気持ちを集中させられなかった。要するに終わったことばかり気にしていたんです。 しかし監督から〝納得するボールを投げろ〟と言われてから、四球を出すことを恐れなくなった。しっかり腕を振った中での四球なら仕方がないと、自分でも割り切れるようになったんです」 ・・・以下≪略≫・・・ 「週刊現代」2012年9月8日号
何気なく読み捨てた週刊誌の記事が蘇った。人間が「大化け」するのも『言葉の力』と断言した二宮清純氏のフレーズが残っていたからである。今朝の新聞記事で「言葉の力」で「大化けし」て大活躍したらしい選手のコメントが生き生きとした活字として目に飛び込んできたのだ。読者諸兄にもこの感動を共感したくて登載した。いかがであろうか??
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