2012/10/29

「お礼状」という日本文化

 ~誰に何を感謝するのか?~

 加齢に伴って何かに関われば「お礼状」が届くことが多くなった。礼状をいただくのは決して気分は悪くないが、この歳になるとお礼状自体についても考えることも多くなった。

 誰が?誰に?どんな事で?

 屁理屈を述べるようになると人生も黄昏期なのか。いや、幼児期への戻り現象なのかも知れない。どうして?何故?と繰り返し問いかけながらも正答を追究するわけでもないからである。

 退職して(要請に従って各地の)様々な人たちが集う場所で講演や講義をするために出向いている。明日からも高知市~広島市と長距離の移動でその類に対応することになっている。初対面の場合が多いが、常連客(笑)もあるので再会の感激も味わうことが出来る。乙な仕事であり、止めることが出来ないのも神経が鈍ってしまっている証しかも知れない。

 神経が鈍ると感情表現が疎くなる。

 最たるものが「感謝の気持ち」が焦点ボケしてしまうようだ。当事者意識がビタミン不足状況に陥るのかも知れない。誰かの熱意と力量で拵えてもらった土俵に載せられて勝利を味わうかのような誤解に気付かずに酔いしれて台風一過の秋空に、「感謝の気持ち」が吹っ飛んでしまうのだろう。

 お礼とは、形式ではなく、内容である。表現ではなく、気持ちである。

 『御礼』という日本文化の本質を論究するほど学びは深くないので敢えて論じることは出来ないが、感謝の気持ちを表するには屁理屈は要らない。美辞麗句を並べた礼状を読んだ瞬間に、「二度と行かない」と意を決する天邪鬼が小生である。

 本気で本音で要望も含めた「お礼」が欲しい。上下関係から成立するのが「お礼」と考えるのは間違っている。偉い地位、とはどこまでを言うのかはわからないが、偉くなった人は、「お礼」は述べなくて良いのだろうか?

 他人事では済まない。己の猛省を述べよう。

感激のあの日から、もう1週間以上が過ぎた。50歳も過ぎた卒業生との再会の機会を戴いた。そして、たまたま当日が小生の誕生日だと言うことでケーキまで準備して待っていてくれた。中身の無い恩師との再会だっただろうが、8年ぶりの再会には老脳にもかなりの刺激は走った。感激と感涙を礼状として一人一人に宛てたかった。うっかりして参加者名簿を貰って来るのを忘れてしまった。幹事役の卒業生にお願いして郵送してもらった。感激も感謝の気持ちも10日も経って届けるようでは、「気の抜けたお酒」のようなものではないか。

親しい著名な学者が葉書を持ち歩いていることを知った。彼は、帰路に着く駅や空港の待合室で「礼状」を書いて投函するのだそうだ。彼に学んだ哲学は、「礼状は感情が失せない時間に届くが一番。内容より速さだよ」であった。主宰者だった当方にも講演の翌日には彼からの礼状が届いた。大きな文字で字数は100文字を超えていなかった。しかし、感激した。

 今回の卒業生には、謝罪と感謝の意を込めた礼状が「昨日」届いただろう。再会の感激から8日目である。学んだ筈の人生哲学が実践されない自身への戒めを葉書にした礼状でもあった。卒業生よ、許されたし!!

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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