2012/10/13

大失態

 ~どうかしたのかい、講師・爺さん1?~

 控室に戻っても自己嫌悪感が治まらん(笑)。

 霧中の講義を続けながら終了予定時刻を大幅に超過していることを気付いてからは動顚状態に陥った。小生の講師稼業が始まってからかれこれ10年が過ぎる。死守したのは「角田・定刻主義」であった。取り分け「終了時刻」を厳守することには拘りが粘着していた(笑)。主宰する『響の会』では、意識的に時間オーバーをしたこともある(無意識の場合もあった)が、ちっちゃな哲学心が揺らぐ所まで自身を追い詰めることはなかった。

 今回の会場では、何が起きたのか??

 4時に終了時刻が設定された当日の最終回の講義を担当することは案内を受けていた。受講生である教員の皆さんは連続の聴講である。当方の講師哲学では、最終回の講座ほど「終わり良ければ皆善し」と確信していた筈だった(泣)。

 原因はわかった。

 「慣れ」による心に生じた「油断」である。

この講座は心地よく「現場力」を受け止める講師冥利に尽きるモノとして5年間連続しての請け負い稼業でもある。毎回20名の少数精鋭の聴講生諸氏は当市の「未来を託す」教員である。従って、多くの聴講生の視線には滾るものを感じる。駄弁を労しても(?)、受け止める度量も備えていてくれる頼もしい後輩諸氏である。

 レジュメは1か月前には担当指導主事氏には届けておいた。

 使用する資料の鮮度が若干落ちるのが気にはなりながらも、神経質になるほどの思慮も失してしまうほどまで、「慣れ」ていたのかも知れない。上野駅からも、あっという間に到着する交通手段も「慣れ」に拍車を掛けたのかも知れない。

 適度の緊張感が無いことは怖い事である。

 聴講生諸氏には退屈な時間を徒に延長した非礼をお詫びして退出したが、市教委の関係者には謝罪する時間も無く会場を後にしてしまった。担当指導主事氏は当ブログを読んでおられる様子なので、小生の心情はご理解願えるかも知れない。心からお詫びを申し上げ、上司への謝罪も伝言をお願いしたい心情である。姑息な依頼をこんな形ですること自体も「慣れ」の延長線にあるのだろうか。自省の朝である。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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