控室に戻っても自己嫌悪感が治まらん(笑)。
霧中の講義を続けながら終了予定時刻を大幅に超過していることを気付いてからは動顚状態に陥った。小生の講師稼業が始まってからかれこれ10年が過ぎる。死守したのは「角田・定刻主義」であった。取り分け「終了時刻」を厳守することには拘りが粘着していた(笑)。主宰する『響の会』では、意識的に時間オーバーをしたこともある(無意識の場合もあった)が、ちっちゃな哲学心が揺らぐ所まで自身を追い詰めることはなかった。
今回の会場では、何が起きたのか??
4時に終了時刻が設定された当日の最終回の講義を担当することは案内を受けていた。受講生である教員の皆さんは連続の聴講である。当方の講師哲学では、最終回の講座ほど「終わり良ければ皆善し」と確信していた筈だった(泣)。
原因はわかった。
「慣れ」による心に生じた「油断」である。
この講座は心地よく「現場力」を受け止める講師冥利に尽きるモノとして5年間連続しての請け負い稼業でもある。毎回20名の少数精鋭の聴講生諸氏は当市の「未来を託す」教員である。従って、多くの聴講生の視線には滾るものを感じる。駄弁を労しても(?)、受け止める度量も備えていてくれる頼もしい後輩諸氏である。
レジュメは1か月前には担当指導主事氏には届けておいた。
使用する資料の鮮度が若干落ちるのが気にはなりながらも、神経質になるほどの思慮も失してしまうほどまで、「慣れ」ていたのかも知れない。上野駅からも、あっという間に到着する交通手段も「慣れ」に拍車を掛けたのかも知れない。
適度の緊張感が無いことは怖い事である。
聴講生諸氏には退屈な時間を徒に延長した非礼をお詫びして退出したが、市教委の関係者には謝罪する時間も無く会場を後にしてしまった。担当指導主事氏は当ブログを読んでおられる様子なので、小生の心情はご理解願えるかも知れない。心からお詫びを申し上げ、上司への謝罪も伝言をお願いしたい心情である。姑息な依頼をこんな形ですること自体も「慣れ」の延長線にあるのだろうか。自省の朝である。
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