2012/10/07

来年も花火の鑑賞を!

デジカメの性能の所為ではありませんが、花火を撮るの難しいですね。2万発の花火の競演にうっとりとしているとシャッターチャンスを逸してしまいました(笑)。
 ~「花火大会」のトラウマが・・・・~
 
 噂は噂。
 「土浦の花火大会は凄いんだって!」「土浦の花火大会は花火師の技術競技会だから凄いんだよ!」「常磐線は超満員の盛況だってよ!」等々、噂は遠近問わずに耳に届いていました。小生には単なる噂は噂でしかありませんでした。同居する前にも孫たちからもお誘いがありました。

 花火大会は故郷での幼い日の苦い思い出の一つでした。
 母親に連れられ幼い兄弟姉妹で球磨川という河川敷まで歩きました(4.5キロ)。会場は「人・人・人・・・・・の人の波」で、小さな子供には空高く打ち上げられる花火を首が疲れる程に見上げて疲労困憊で同じ道を帰って来るのでした。「連れて行ってもらえるだけでも幸せだ」と長兄に言われ、必死になって行動を共にしました。その部分しか記憶ない花火大会の思い出でした。ある年は、会場に向かう途中で豪雨となりました。母の知り合いの農家の小屋で雨宿りをさせていただいて止んだ雨を確認して帰って来たことも花火大会の思い出として記憶に残っています。いずれも「好感度」の花火大会ではありません。

 茅ヶ崎に自宅を建てて住んだ夏。新居のベランダから見えた「江の島の花火大会」は夢心地でした。人間は贅沢な動物です、我が子たちは「仕掛け花火」を現地で見たいと所望しました。現地の混雑は花火大会トラウマになっている父親は、とうとう一度も現場で花火を鑑賞する家庭文化は築けませんでした。

 ここ、土浦を流れる桜川は故郷の球磨川とは比べ物にならない程小さな川です。運転するようになっている小生は土浦市役所に行くために何度もこの川を渡っています。こんな小さな川の河川敷では、子ども時代の二の舞だと思い込んでいました。

長男一家に誘導され到着した河川敷は空き場所が多いのに驚きました。今回は古河市に住んでいる妻の従姉の子ども一家も同行したので総勢11人にもなってしまいました。予想は完全に覆されました。11人が座わるスペースにゆとりもあり、正面には間髪入れずに上がる花火を十分すぎるほどまで満喫できたのです。

 孫軍団から仕掛け花火へのご所望がある頃には、いずれ桟敷席でも購入して鑑賞させることにしましょうかね。我が子にしてあげることの出来なかった行為の懺悔のお返しといたしましょう。ともあれ、「花火大会」のトラウマは昨夜の河川敷での鑑賞で完全に断ち切ることが出来ました。

 夜が明けて爺婆の朝食の話題は、「来年はもっと準備して出かけるぞ」と燥ぐ爺に対して苦笑いしながらも「何か、料理を作りましょうかね」と相槌を打つ会話で小さな盛り上がりでした。

 やっぱりこのお祖父さんは『短絡性・能天気症候群』(命名は本人)でございました(笑)。
 
【歩禅記録】
土浦は朝から強雨。疲れた体には良い休養になりました。昨日は何と14000歩も歩きましたよ。

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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