2012/10/01

『中秋の名月』に台風襲来

 ~『歓迎されぬ』台風との哀しい思い出~ 

 台風17号が紀伊半島から東海地方への進路を取っているとの情報で、東海地方には大勢の知人友人がいるので心配した。取り分け、上陸したらしい豊橋市には何度も学校訪問をしているので気を揉んでしまった。今月の半ばには豊橋への学校訪問を予定しているので他人事では無かった。名古屋駅周辺を映すTV画面を見ながら心配して電話をしたが話し中で思いは通じなかった。その知人から以下のメールが届いた。

台風17号が(お呼びでないのに)豊橋に上陸しました。台風というと、昭和34926日に東海地方に甚大な被害をもたらした伊勢湾台風を思い出します。小学校6年生の時です。この年も異常な暑さが9月になっても続いていました。このころは現代のように気象衛星もなく台風情報がリアルタイムには伝わってきませんでした。直前まで確か天候は良好だったことを覚えています。台風が近づくにつれ、風雨が非常に強くなってきました。あまりの風雨の強さに近所の人が、子供を我が家に連れてきて避難をさせましたが、暗くなるにつれて風雨はますます強くなり、窓は雨戸を閉めたものの、玄関には雨戸はありません。当時稲を刈りとりモミをいれた麻袋が庭に積んであり、父と兄とで玄関が強風で飛ばされないようにモミ袋を積み重ねて必死で抑えていたのが思い出されます。強風で家が時々きしむ音を聞きながら一夜を過ごした記憶があります。情報不足により、避難が遅れたりし多くの死者がでました。今度の台風は伊勢湾台風よりやや東よりのコースでしたが、午前中は、薄日が射したりしていましたが、正午ごろから雨が降り出し3時頃には非常に強く降り出しました。風は南からは強くなく北から強く吹きました。7時ごろ豊橋に上陸したことをニュースで知り、8時頃には風雨が弱まり、8時半には雨は降っていましたが風は収まりました。今年の台風は、これ以後は上陸しないだろうが歓迎しない訪問者ですね。(雨不足のときは、歓迎されますが!)そちらは如何でしたか?台風のコースから離れているようですが、何事もないことを祈ります。 

台風との思い出を語れるのは被害が無かったことの証明であり、ホッとして読み返しながら自身にも苦い思い出があることを思い出した。

小学5年生だっただろうか。「台風銀座」と言われていた九州(生まれ故郷=熊本)では日常的な出来事ではあったが、やっぱり怖かった。台風そのものの怖さの思い出より、その被害の後遺症が哀しい思い出として残っている。水害の後に赤痢が流行した。友人とその家族が亡くなった。台風が来る前までは一緒に登下校をして、遊ぶのも殆ど一緒だった(子供心にも)、無二の親友だったと思われる人物が、「ある日突然」姿さえ見ることもなくなったことの哀しさは60年近く経っても胸の痛みを感じるほどの衝撃だったと推測できる。

10月30日は中秋の名月。まさに「歓迎されぬ」台風の所為で月の光もなく、老妻が作った団子も近所からいただいた里芋といっしょにひっそりと静かにしていました(笑)。

皆さんの地方では、台風の被害はなかったでしょうか?
 
早朝歩禅記録 05:15~06:10【6700歩】
台風一過の早朝は「きれいに清掃の済んだ空」そのものでした。
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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