こんなメールが届きました。
一昨日(23日)の横須賀市教育研究所の講座に同行した出版社の営業担当からのメールです。横須賀(神奈川県)の出向先から上野駅(東京都)まで、当方を車で送っていただいたご本人からの「お礼状」です。日付と時刻も入れてご紹介します。
0824/08:34受信
角田 明 先生
昨日は貴重なお時間をたくさんいただきまして、まことにありがとうございました。帰りの道中に関しましてもお気遣いをいただき恐縮しております。結果的に角田先生を長時間にわたって独占することができ、私といたしましてはとても嬉しいことだったのですが、お疲れのところ大変申し訳ございませんでした。
次回は小和田公民館の会になりますでしょうか。また追ってご連絡をさせていただきます。いつも有り難うございます。今後とも何卒よろしくお願い申しあげます。
●●●(株) 〇〇〇〇
上野駅を発ったのは20:30の特急電車でした。自宅に着いたのは午後9時40分ごろでしょうか。疲れ切った老体は風呂を浴びての即・就床でした。通常は早起きの老体も目覚めは遅くなってしまいました。
パソコンを開けるとこのメールが届いていました。
「昨日のお礼」には賞味期限切れはありません。心遣いがお礼を表現させます。「気持ちがあればお礼の言葉なんて要らないさ!」と、格好の良い表現をされる方も多い時代ですので、強いる気持ちなどございません(笑)。しかし、1週間も10日間も経ってもその兆候すら感じない関係者が多いことに心が痛みます。
お礼や挨拶は強制するものでは無いですよ。
同感である小生には、言い分もあります。自らの人間性から「お礼」の言葉は工夫して伝えるべきだと考えているのです。要請や依頼には強引さもあります。しかし、その要請に応える側での誠意には、謝意を伝えるべきだと考えています。昭和10年代生まれの古い考えでしょうか?
決して誤解の無いようにお願いしたい。
お礼のご挨拶を要求しているのではありません。お世話になったりご苦労をお掛けしたりした先方には「有り難うございました」の、素敵な日本語をお伝えして欲しいのです。「賞味期限」「消費期限」に神経をすり減らすような現代社会であればある程、『お礼の気持ち』にも神経をすり減らすような気遣いを要求したいだけなのです。
乳幼児期に「ありがとう」を発しないで子育てをしてしまったのではないかと危惧する場面が多すぎます。謝意にも賞味・消費期限があると声を大にして孫育てに躍起になっている祖父ちゃんの戯言です。
戴いたお礼メールで、披露した老体も老脳に刺激が走りました。即刻の返信をしました。「長時間の運転手の方が、余計な神経と労力でお疲れ様でした。ご配慮のお蔭で予定した特急電車に乗れました。お疲れ様でした。有難うございました。」とメールを送信してホッとした昨日の朝の出来事です。
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