2013/08/01

「長寿と長命は違います」との医師の言葉に目が覚めた!


 親しい外国の友人との会話を思い出した。

 それは昨日の菩提寺の拝殿であった。「施餓鬼」のお説法を聴くために檀家の人たちと開会を待っている時だった。その友人が、「ミスター・ツノダは仏教徒ですね」と宗教を確認された瞬間の事だった。何のためらいもなく「イエス アイ アム」と答えた。その後、幾つかの質問を受けた。彼の言っている英語は通じているので質問の意味が分かっているにも関わらず、1つも答えることが出来なかった。

 あれから40年ばかり経っている。今、同じ質問をされても本質まで答える事も出来ないことを自覚している。なぜだろうか?

 この老輩の「年中行事」の中心は仏教に準じていることが殆どである。そして、時として老輩らしい頑固さで、「クリスチャンでもないのに、何がクリスマスだ!?」と嘯くあたりは列記として仏教徒である(笑)。

 お説法は龍ヶ崎市の僧侶であった。「盂蘭盆会」と「施餓鬼」が話題であった。隣には老妻も座っている。A4一枚の配布資料に二人で目を通しながら耳で僧侶の声を聴き取る。ところが(仏教の)深部まで理解できない。老妻の両親が他界してお墓を作ることになった時点でも痛感した。宗派(仏教の)が異なると戒名の付け方も違うことを知りつつ、宗派同士の争いが起こっている世界の情勢に頷いた。何も知らずに仏教徒と言って憚らない我が人生は間もなく古稀である(笑)。1時間半の「施餓鬼」会に参列して新・卒塔婆を受け取って墓地で交換を終えて帰って来た。

 帰路の車の中では老妻と「宗教に関して無知である」ことを苦笑しながらの会話となった。

今朝の「ラジオ深夜便・明日への言葉」で、出演された医師(中村格子氏)の言葉が強烈に耳に付いた。「長寿と長命は違うんですよ」と。氏の提案する「ラジオ体操のススメ」の話はスッキリと心に入り込んで来て爽やかな気分であった。昨日の寺院の拝殿で出会った多くの人たちに、この医師の話題提供を聞かせてみたくなった。長時間の「座る姿勢」が、拷問のように感じてしまうような老輩も多かった。低い椅子も用意されていたのは時流なのだろう。

 長寿と長命は違うことの本質をしみじみと考えている朝である。偶然にも今日の朝刊にこのような記事が載っていました。ただ長く生きているだけでは幸せではないですよ!元気に動けて長く生きることがホンとの幸せ。だからラジオ体操を勧めているんですよ!と。
 今朝の当地は雨の為に「早朝歩禅」は中止である。こんな朝は読書の時間になった。読んだ本はいつか、また当ブログでご紹介しましょう。
 
 
 
 
 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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