親しい外国の友人との会話を思い出した。
それは昨日の菩提寺の拝殿であった。「施餓鬼」のお説法を聴くために檀家の人たちと開会を待っている時だった。その友人が、「ミスター・ツノダは仏教徒ですね」と宗教を確認された瞬間の事だった。何のためらいもなく「イエス アイ アム」と答えた。その後、幾つかの質問を受けた。彼の言っている英語は通じているので質問の意味が分かっているにも関わらず、1つも答えることが出来なかった。
あれから40年ばかり経っている。今、同じ質問をされても本質まで答える事も出来ないことを自覚している。なぜだろうか?
この老輩の「年中行事」の中心は仏教に準じていることが殆どである。そして、時として老輩らしい頑固さで、「クリスチャンでもないのに、何がクリスマスだ!?」と嘯くあたりは列記として仏教徒である(笑)。
お説法は龍ヶ崎市の僧侶であった。「盂蘭盆会」と「施餓鬼」が話題であった。隣には老妻も座っている。A4一枚の配布資料に二人で目を通しながら耳で僧侶の声を聴き取る。ところが(仏教の)深部まで理解できない。老妻の両親が他界してお墓を作ることになった時点でも痛感した。宗派(仏教の)が異なると戒名の付け方も違うことを知りつつ、宗派同士の争いが起こっている世界の情勢に頷いた。何も知らずに仏教徒と言って憚らない我が人生は間もなく古稀である(笑)。1時間半の「施餓鬼」会に参列して新・卒塔婆を受け取って墓地で交換を終えて帰って来た。
帰路の車の中では老妻と「宗教に関して無知である」ことを苦笑しながらの会話となった。
今朝の「ラジオ深夜便・明日への言葉」で、出演された医師(中村格子氏)の言葉が強烈に耳に付いた。「長寿と長命は違うんですよ」と。氏の提案する「ラジオ体操のススメ」の話はスッキリと心に入り込んで来て爽やかな気分であった。昨日の寺院の拝殿で出会った多くの人たちに、この医師の話題提供を聞かせてみたくなった。長時間の「座る姿勢」が、拷問のように感じてしまうような老輩も多かった。低い椅子も用意されていたのは時流なのだろう。
長寿と長命は違うことの本質をしみじみと考えている朝である。偶然にも今日の朝刊にこのような記事が載っていました。ただ長く生きているだけでは幸せではないですよ!元気に動けて長く生きることがホンとの幸せ。だからラジオ体操を勧めているんですよ!と。
今朝の当地は雨の為に「早朝歩禅」は中止である。こんな朝は読書の時間になった。読んだ本はいつか、また当ブログでご紹介しましょう。
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