理解はしていたつもりだったが、実態と遭遇して声が詰まった。
奉仕グループの太鼓や笛の演奏に合わせて、ひょっとこ・おか目の面を被った踊り手が舞台に上がると歓声がどよめきに変わった。天狗の面を被った男性は櫓の踊り場に載らずに櫓の周囲を踊って周回である。興奮状態の利用者さん(障碍者施設の)も、思わず天狗の面の踊り手に近づこうとしている。
その人の手を引っ張って集団の外に連れ出した職員(らしき人)がいた。何やらポケットから取り出した。封を切っている。利用者さんも職員の仕草には慣れているのだろう。全身は太鼓や笛の音に合わせるかのような動きでありながら、いつの間にか口を開いて待っている。職員が口に運んだ袋は「くすり」だったようだ。飲み終わったら踊りの輪に戻って行く。1組に注目していたので気づかなかったが、注視するとそのような光景があちこちに見受けられた。
投薬は障碍に応じての対応であり、職員の業務の一つではあろうが大変な役目である。障碍者施設に勤務する長男夫婦である。施設には、重度の障害を持つ利用者さんから軽度で宿泊施設に入居して外部への勤務に出向く人も居るという。成人者向けの施設である。高齢者も多くなっていると聞いたこともある。
障碍者の高齢化にはその親自身が要・介護の年齢者が頓に増えたそうだ。平均寿命が延びる現象はご多分に漏れず施設にもその波は押し寄せているとの情報も得ている。レジャーや余興を楽しむ時間でも、施設の職員は「その人に応じた」時間と薬の睨めっこのようだ。その事実を盆踊りの会場に居た2時間で幾つも見届けて帰って来た。
盆踊り会場の出店の品物は無料である。孫たちは列に並んで順番が来たら貰って戻って来ては無心に食べている。1時間近くは櫓に注目する孫はいなかった(笑)。
障碍者の人たちも浴衣姿が目立った。華やいだ姿にも「高齢者」の波は確かに押し寄せているように感じた。親御さんの気持ちになれる小生は、目に映る光景に、我が子の行く末を案じる親業の辛さに思いを馳せた。圧死しそうになる親心を偲べば心が痛んだ。
そのような環境を「仕事場」にしている長男夫婦が、安心して仕事に打ち込むことが出来るように、「留守を守ってやらねば」、と強く感じたひと時だった。
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